ここ最近のブログが心に響くのか、お礼のメールをよく頂くようになりました。

うれしい限りですが、藤山寛美率いるところの松竹新喜劇のような泣き笑い劇場を目指している僕とすれば、とりたてて涙するような内容もないし、腹の皮がよじれるような面白い話もありません。

後者に関しては、これはひとえに僕がここ最近あまりアホなことをしてないからであります。

そんなことばかりあっても、それはそれで困るのですが、筆者とすれば実は非常に不満足なのです。

笑いが少ない。

何とかしなければと思うのですが、こればかりは如何ともしがたい現状です。

 

常々不思議に思うこと。

それはここ吹く風はいったいどこから来るの?

どこからはじまるの?

 

いくらここで風速何十mの風が吹いていようと、必ずそれが起こった地点があるはずなのです。

そこから向こうでは一切無風という場所が。

それが徐々に空気の流れが強くなりここに至る。

風というのはあちこちで感じられるわけですから、それぞれいったいどこで始まっているのでしょう?

もしかしたらここが風速0mの地点で、これがはるか向こうで強風になるかもしれない。

不っ思議~。

 

そもそも大気というのは地球上どこでも不動ということはなく、常に動いているものですから、このような限られた視点で論ずるのが間違っているのかもしれません。

 

この世界にあるものがすべて神の顕現であるならば、船も通らないような大海のさざ波大波はいったい何を表現しているのでしょう?

深海の奥底深く、光も届かないようなところでじっとしている生物たちは、いったい自己の何を創造・表現しているのでしょう?

僕たちあらゆる生命は、たとえ木の葉であろうと、石ころであろうと、自分を創造しそれを体験することにより、自分を知るために存在します。

人間がこの地球の管理者ならば、人の目にもつかないようなところで、それらはいったい何をやってるんでしょう?

なかなかの難問です。

 

人の目など気にする必要もないとも言える。

自分で表現し、自分の可能性を知れば良いだけだから。

これは昨日の期待の話と関連しますね。

 

もし、僕たちがこのままず~っと5次元を超えてもっともっと上まで次元上昇していったとしたら、世間に犯罪や悪と呼ばれるようなものがなくなったとしたら、すると相対的に徳や善という概念がわからなくなります。

周りが同色ならば自分の色がわからなくなる。

だからそういう意味で現在は必要悪なのでしょうが、ワンネスに近づいたらどうなっちゃうのでしょう?

今現在、高次元にいる存在たちはどうやって自分の色をわかるのでしょう?

 

答えは悪というのが現実として存在する必要はないということです。

かつて地球上にそういうことがあった、あるいはこの宇宙のどこかにそういったものが存在しているといった概念があるだけで構わないのですね。

 

すると人目につかない大海の波たちはどうでしょう?

自由さ、壮大さ、現れては消える潔さ、色々解釈できるでしょうが、そこでしか表現できないものがあるのかもしれません。

深海の底にいる生物たちは、闇でも力強く生きること、孤独であるようで孤独でないこと、忍耐強いこと、自分独自の存在であること、などを表現しているのかもしれません。

アマゾンのジャングルの中の小さな草花だって、僕らの目には触れないけれど、それらがそこにあることで、僕たちは自分を間接的に知ることができるのですね。

 

僕が初めてオーラを見たのは人間じゃありません。

リビングのテーブルの上においてあった時計でした。

それ以来、一見生命が宿っていないように思える静物でも、僕はそこに意思も感情もあるのだと思い、そのように接しています。

朝の掃除のとき、どれだけ小さな虫でも誤って殺してしまわないようにしています。

そんな権利は人間にないでしょう。

うちの蚊取り線香は蚊を殺すのじゃなく、蚊が寄ってこないようにするだけのものです。

僕はこの夏、一匹の蚊も殺しませんでした。

咬まれたら咬まれたまま。

もちろん追い払うことはしますが、その時に寄ってこないようにお願いします。

しかし、彼らも人の血を吸って生きている以上、ある程度咬ましてあげないと死んじゃうよね。

唯一、ゴキブリだけは退治役を嫁さんにやってもらってます。

さすがに医療機関でゴキブリはまずいですのでね。

それによって僕は自分の手を汚さない。

手を汚さないヤツが一番汚いということです(笑)

2011.11.17