最初にひとつおことわりしておきます。

僕は普段、女性のいるお店、ラウンジやクラブなどに出入りすることは滅多にありません。

行ったところで大して楽しくありません。

ただ、いつも飲みに誘ってくれる友人はそういうところが何気に好きなので、彼と飲みに行く時はそうなることもある、というだけです。

ですから同伴などというのも僕は一切しませんし、普段行かないわけですからしようがありません。

先日の同伴が生涯で二度目です、おそらく。

通常同伴というのは、女性に気にいられたいか、その子のノルマを助けてあげるためかのどちらかですが、この間の同伴は完璧に僕の一方的な都合です。

さて、皆さんは果たして僕の馬券が的中したのかどうなのか気になってらっしゃると思いますが、その時間僕は歯科保健フェスティバルに出ておりましたので、中継を見ていません。

恐くていまだ結果も見ていません(笑)

 

スピリチュアルの世界でよく言われる「自分を許す」ということについて、他人が許せないのは自分を許してないからだとされています。

今、僕は自分自身を見てみると、相変わらずそういうところはあるものの、以前とは違う気がします。

例えば車を運転していて前の車の窓から空き缶が捨てられた。

カラン、カラン。

以前なら当分怒りが僕の体中を支配していました。

今は一瞬、何が起こったのかわからなくて???て感じになり、次の瞬間怒りがやってきて、そして比較的すぐにその怒りは過ぎ去っていきます。

あとは僕がもう一度その怒りを頭で呼び起こさない限りそのままです。

こういう出来事が僕の前に起こる度に、僕は自分のマインドによる支配が現在どの程度なのか知ることができるわけです。

 

そしてもう一つ、「自分を愛する」です。

これはなかなかに強敵でして、口では言うものの愛するっていうのがどういうことなのか、日本人には分かりづらいというのが本音でしょう。

だからむしろ「自分のことが好き」の方がいいかもしれません。

loveとlikeは違うのですが、この際どうでもいいことにしちゃいます。

さて、僕は「自分のことが好きか?」と問われたならば、今なら「結構好きかも」と答えるでしょう。

以前だったら「う~ん・・・」と考え込んだかもしれません。

今、僕は自分の一般的に言うところの長所・短所、強みや弱点、そういったものをすべて理解しています。

自分自身を見つめるということをやり続けてると、誰だってそうなります。

 

通常、長所とか短所は良いところ、悪いところ、とされますが、実際にはそうでなく単に一つの性質です。

それを短所として改善しないといけないと思わされたのは、ひとえに世間の常識であり、親のしつけであり、それらを受けた自分自身の誤った固定概念です。

そういったことも自分の中で明確になってくる中で、自分を嫌うとか、こういうところが嫌だなあ、とかいうのがどんどんなくなってきました。

「自分が好きでたまらんっ!」とまではいきませんが、結構イイ線いってると思います。

 

先日の大阪ぶらり歩きにしたって、僕からしたら最高に面白い看板や提灯を普段そのオフィス街で働く人たちが通勤途中に見て面白いと思うかというと疑問であります。

同じものを見ているはずなのに、それが日常になってしまうとただの風景になってしまう。

僕は何か面白いことがないかワクワクしながら歩いている。

そういう違いがあります。

つまり面白いかどうかはそれを受け取る側次第ということです。

僕というこの人は、笑いということに関しては中々のものでして、ちょっとしたことでも面白さを見つけるし、それを面白く人に伝えたり、表現したりするのがまた大好きです。

僕は僕と一緒にいる限りにおいて、どんなことでも楽しいし、愉快です。

そしてそんな自分が好きかも知れない。

他覚的にも自覚的にもこれだけたくさん弱点(一応)があるにもかかわらず、僕自身はエエ感じです。

すべて自分の内面の話なのですね。

 

ケビンのセミナーでは途中、参加者同士が「愛してます」と言ってハグし合うということをすることがあります。

わかるんだけど、正直言って本当に愛してもいない人に(まだまだワンネスの途中だからそれで良しなんですが)愛してますなんて言うのは不自然だし気持ち悪い。

一度だけ昨年の那須でのセミナーにおいて、ペアの女性に心の中で知らないうちに「愛してます」と言っていました。

その件に関しては過去ブログにも書いてありますが、こういうのは自然で構わないと思うのです。

 

自分のことを愛せないから他人も愛せないんだ、愛せるようにならなくちゃ、などと自分を追い込まないでね。

ちょっとずつでも、自分の好きなところを見つけていって、それを広げていけばOKなんじゃないでしょうか?

2011.11.22