こういうメッセージを書きながら自分の内面を見てみると、メチャクチャ正直言って、ちょっとした優越感みたいなものがあったりします。
いやらしい話ですが、嘘はつけない。
皆さんが自分の中にこそ真実があるのだということに気づくお手伝いをしながら、「俺は知ってんねんぞ」みたいな上から目線が何とな~くあるわけです。
なくなって欲しいけど、中々なくなりませんね、これだけは。
ところが、2012年をはるか越えて2020年、2030年になったとしたらどうでしょう?
もう少なくともこのレベルで伝えるようなメッセージはない。
ないからインスピレーションも閃かない。
皆が自分を自由に表現・創造しだしています。
こうなると僕はただの歯医者です。
もうその時には勝ち負けや優劣というのがなくなりつつあります。
例えば絵を描いてみれば、上手下手というのはあるでしょうが、下手な人もそれはそれで一つの表現、そして一つの個性として認められます。
今は他人より優っていることが自分の安心感につながり、幸せと勘違いされていますが、そうではなくなるのです。
今現在、そうでなくなった時のことを考えると少々というか多分に不安になります。
人より優っていることで自分というのを発揮してきて、それが自分という概念を確立するものだと思っていたのに、それがなくなるなんて。
その時わたしはどうしたらいいの?
と、思いません?
僕がただの歯医者になるのなら、その歯医者でもっともっと研鑽し、上を目指す?
そりゃ当然のことでして、今でも誰でもそうしています。
他の医院のホームページ見て頂ければわかりますが、ほとんどの先生は自院の優位性を謳っています。
当院にはこういう最新機器がある、このような技術を持っている、このようなホスピタリティがある、だから〇〇でお困りの方は是非当院へ、みたいな感じ。
僕は???そういったHPの作り方に疑問を感じます。
もちろん、特定の機器が置いてある、あるいはある技術を持っている歯科医院を探している人もいるでしょうから、それはそれで良いのですが、そこに書かれているのは紹介ではなく、あくまでも他院との比較で差別化です。
もし皆がその機器を導入すれば、その技術を持てば、そのホスピタリティがあれば、そのHPの主は一体それからどうするつもり?
これ、先ほどの話と同じですよね。
でも必ずそうなる日が来るのです。
答えは共に一緒で、大切なのはその人の個性。
歯科医院であるならば、システムや医療機器・医療技術の個性ではなく、院長やスタッフ個人とその総和としての医院の個性、これこそが重要になってきてHPではそのことが読む人に伝わるように注意が払われるであろうと思うのです。
前にも書きましたが、医療で大切なもののひとつとして患者と医師の相性というのが無視できないとつくづく感じるのであります。
あと10年先、20年先、あるいはそれ以降に僕はどうあるべきだろうか?
優劣でない部分で自分を創造・表現し、僕が誰かにとってかけがえのない人であり続け、僕も誰かを必要とするためには何がどうあらねばならないのだろうか?
それこそ、その人の個性でしかあり得ないでしょう。
産科の現状も改善され、もうトラウマを持って産まれてくる赤ちゃんもなくなってきました。
トラウマがないということは、それに裏打ちされる性格がなくなるわけですから、個性というのは純粋に自分が選んだ過去世の記憶だけによるようになります。
僕の個性かぁ・・・・・
あらためてそう言われると、非常に難しいし戸惑ってしまいます。
でもこれからは個性に磨きをかけないと、生きていけない時代がまもなくやってくる。
この磨きをかけるって意味、そこがミソなんですよ、きっと。
僕がもっと濃い西塔治になる。
こりゃ考えたら、メチャクチャ不安なような、恐ろしいような(笑)
ちなみに今、原発反対とかやってる人たち。
あるいは給食の安全性を確認しろと教育委員会にせまる母親たち。
その人たちは仮に安全なエネルギーが開発されて、給食も自然栽培のものだけが供されて、あれもこれもその人たちが反対しそうなものは全部改善されたとしたら、次に何に反対すると思いますか?
次の攻撃目標は何でしょうか?
これはね、教えてあげますけどね、最終的には自分自身を攻撃するようになるんですよ。
というより、それが元にあるから〇〇反対とやるわけです。
でも本人たちは一向に気づいてない。
お気の毒な人たちだと思います、マジで。
Wizard of Oz(オズの魔法使い)より
2011.11.24