”いま”はここにしかない

23,24日と僕は連休だったわけですが、祝日は柳原さんの講演の後、ミナミのニコちゃんとこへ行き、その後BAR Duetteへ。

法善寺横丁の主、ナベさんに会うの超久々です。

木曜日は二日酔いの身体に鞭打って嫁さんと、南船場のマザーハウスへ出産祝いの下見。

その後、僕は一人で奈良健康ランドへ行きました。

いつもは車でいくのですが、この日は天理まで電車で行って、ほとんど人のいない駅前のコンコースで無料送迎バスを待ちます。

天理駅からバスで15分ほどかかるのですが、途中、普段よく食す豆腐を作っている「近藤豆腐店」の本店の前を通りました。

このお店はうちの近くのならまちの中にも店舗があり、そこでは食事ができます。

 

健康ランドは平日の3時とあってガラガラ。

しくわぁ~し、またしても檜風呂がメインテナンス中で入れない。

ツイテねえなぁ。

でも平日の昼間に大きなお風呂に入るのって幸せ感じるわぁ。

(アレ?幸せって自分の中にあるものじゃなかったっけ?笑)

一通り色んな風呂に入り、各種サウナも入って、リラクゼーションルームへ。

文庫本を読みながら、それとなく居眠りします。

夕方の3時から6時に至るまでの間、テレビでは相撲中継をやっている。

別に真剣に見るわけではないのですが、やはり相撲を映しておいて欲しい。

するとね、午後3時位のまったりした時間から、4時を過ぎ、5時を過ぎると徐々にあわただしい時間の流れになっていく。

結びの一番になると、もう午後6時間近で昼間のリラックスタイムは終わり、みたいな感じになる。

あとは、さて、何時に帰ろうか?と考えだす。

この独特の時間の流れをウトウトしながら感じるのが大好きなんです。

 

さて、帰りのバスの時間までにもうひと風呂浴びてこよう。

僕はどういうわけだか、ここの露天風呂に入ると何らかの気づきがやってきます。

もう6時を過ぎると暗いですから、星が見えています。

なにげに星を見ていると、先日読み終わった神との対話に書かれていたことを思い出しました。

 

僕たちが見ているのはすべて過去なんだ。

 

あの星も何光年向こうにあるかわかりませんが、僕の元へ届いている光ははるか昔に発せられたもの。

つまり今見ている星は、現在の星の姿じゃないということです。

もしかしたら、もうその星は爆発してなくなっているかもしれない。

不思議な感じですが、確かにそうなのです。

 

もう少し視野を近くにもってきましょう。

目の前にいるあなたの姿も、僕の目に映る時にはすでに過去のものです。

どれだけ近づいて見ようが、見るという行為が間にはさまる限り、絶対に僕たちは現在を見ることはできないのです。

どれもこれも過去の姿。

じゃあ現在はどこにあるのかというと、それはここ、すなわち自分の中にしかないということです。

 

いま、ここ、に集中して生きるという事を言いますが、それはそういうことなのかもしれない。

外側で起こっていることに対して反応するのは、過去に対して行動を起こしているということ。

いまを生きるということは、そういったこととは関係なく、自分とともにあること、自分の真実を生きること、そういうことではないでしょうか?

わかったような、わからないような、ややこしい話ですが、なんとなくそれに気がついて嬉しかったのでした。

 

ちなみに先週のマイルチャンピオンシップはハズレ。

僕の軸馬のうちの一頭、1番人気の馬がとんでくれました。

2着に来た11番人気の馬は相手の本線で持ってたのに。

まだまだ有馬記念までは、チャンスがあります。

でもね、「逆転の発想」には大きな落とし穴がありましてね、お金がすでに余るほどあるから女の子に飯をおごるという話なのですが、実はお金が余るほどあるような人は競馬などしない、少なくとも馬券を買う側には回らないのです。

知ってたけど、その時には忘れてしまってました。

トホホ・・・。

昨日、生まれて初めて居酒屋でチョコパフェを食べた僕。

2011.11.26

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