神よ、もしわたしが蒙昧になり偽善となり傲慢となったなら、どうぞその旨をお知らせください。

Amen

 

僕は確か書かなかったと思うのですが、一昨日の月曜日に東京でシャスタクラブの篠原さんご夫妻のセミナーがありました。

僕は今回不参加でしたが、2級天使の柴田さんが参加され、どんな感じだったか少しお話を聞くことができました。

講演の中でヒデさんは、なぜか僕のことについて触れ「今日もここにお越しになっていますが・・・」と話されたとか。

柴田さんによると会場には僕に似た人がいたそうです。

あれですか、眼鏡かけて髭はやして頭がアレやったら、なんでもわたしですか?

 

先日のブログでアクセス数の話がありました。

誰だってたくさんの人に読んで欲しいと思うと思うのですが、「神との対話」に次のような文があります。

 

<真のマスター>とは、生徒が一番多い者ではなく、最も多くの<マスター>を創り出す者である

 

これこそが「シャングリラからの伝言」の目指しているものです。

誤解のないように申し上げておきますが、ここで言う<真のマスター>とは僕のことではありません。

「シャングリラからの伝言」のことです。

僕が口酸っぱく繰り返している、依存はさせないということも、自立して自分の人生を歩くということも、すべての真理が皆さんの中にあることも、あらゆる力の源が皆さんの中にあることも、すべてそういったことなのです。

今となれば膨大な量となったブログの記事も、本編たるサイドメニューの記事も、すべて本当の自分を思い出してもらう、そのキッカケでしかありません。

ただそのキッカケが人により違うので、たくさん違う内容のことが書いてあるだけの話です。

 

このブログはオチャらけ記事も多いのですが、いわゆるメッセージ性のあるもの、そういったものをもう読む必要がないと皆さんが気づいた時に、はじめて「シャングリラからの伝言」は皆さんへの祝福となるでしょう。

僕に限らず、こういったブログを書いている人たちは、ある程度のレベル以上になると他人のブログなど読まないし興味も示さなくなります。

真理を外から教わることが無意味だと知っているからです。

それはここにあるじゃないか、と知っているからです。

 

またしても「神との対話」からの抜粋です。(ええんかな?こんなことして)

 

イエスがもっていた最大の資質は、万人のほんとうの姿を見ていたことだった。

彼は見かけにはごまかされず、たとえ本人が自分はこういう人間だと思っていても、それを信じなかった。

イエスはつねにより高い考えをもっていて、ひとにもそうせよと勧めていた。

それでいて、彼はひとの選択を尊重した。

より高い考えを受け入れろとは言わず、ひとつの提案として示しただけだった。

また、イエスは憐みをもちーひとが自分は援助は援助が必要なのだと思っていれば、その間違った考えを否定しようとせず、当人なりの現実を愛するがままにしてー愛情をこめて、ひとが自分の選択肢を生きる助けをしてやった。

ひとによっては、自分ではない自分を生きるのがほんとうの自分への近道だと、イエスは知っていた。

イエスは、その道は不完全だとは言わず、非難もしなかった。

それもまた「完璧な」道であると言い、そうしたいひとを助けた。

 

僕が時々、「とにかくそのままやり切れば?」と言うのはこのような理由です。

良い人になろうとして、良い道を探そうとして(良い悪いはないのに)無駄に時間を浪費するよりは、今のまま突っ走った方が実際問題、近道だということも多いのです。

でも、こういうアドバイスは往々にして喜ばれません。

相談する相手によっては、一見正しそうに見える道を示してもらえることもあるでしょう。

それにより、これまた一見、自分の問題が解決してあとはこの花道を進むだけと勘違いすることもあるかもしれません。

残念ながらそれは幻想であり、まさしく勘違いなのです。

 

僕が皆さんにこのブログで示しているものは、僕の生きざまそのものです。

下手したら、昨日、一昨日は言うにおよばず、去年の今日何していたかも書いてあったりしますからね(笑)

どんな生きざまかと言うと、その時々の僕が本当の自分を思い出すプロセスであるという生きざまです。

そして今わかるのは、僕は僕でいいんだ、個性丸出しでOKなんだということ。

これは他人にも当てはまりますから、他人の個性もそれで良しなのです。

ただ日常生活ではそう思えないことも多いのですが、それはそれで構わない。

大切なのは自分。

自分の感情。

これに素直に従うこと。

 

よく言われることに、「わたしはカッパ先生みたいにメッセージなんておりてこないから・・・」

確かに僕にはヒラメキとして、言葉というかメッセージの塊みたいなのが来ることが多いです。

しかし、「神を感じる時」でも書いたように注意深くしていれば、誰にだって神が語りかけているのに気づくはずなのです。

先ほどヒラメキと言いましたが、皆さんそれを無視なさいます。

僕はそれをここで言葉にしています。

 

それにね、感情というものがあるでしょう。

いったい感情というのがどこから来るのだと思いますか?

神以外のどこから来るでしょうか?

でも皆さん自分の感情を抑圧なさいます。

それがやがてストレスとなり病気を引き起こします。

小さい時から感情を出さないように親にしつけられてきたからです。

つまり、ずっと神の言葉を閉じ込めてきて接触を自ら断ってきたわけです。

その結果が今のご自分の姿。

 

再度「神との対話」から引用、改変します。

悲しみは自然な感情ですが、抑圧され続けた悲しみは慢性的なうつになります。

怒りは自然な感情ですが、抑圧され続けた怒りは憤怒になります。

羨望は自然な感情ですが、抑圧され続けた羨望は嫉妬になります。

不安は自然な感情ですが、抑圧され続けた不安はパニックになります。

愛は自然な感情ですが、抑圧され続けた愛は所有欲になります。

すべて後者は不自然な感情です。

 

自然な感情を自然に表現できると、それらはすべて喜びになります。

怒りも悲しみも不安でさえ喜びです。

喜びを感じる時、人は楽しくなります。

 

これからは、こころが喜ばないことは何事であろうともやるべきではありません。

これからは、あなたが楽しいと感じないことはどんなことでもやるべきではないのです。

どうして、限りある人生をそのようにして無駄に過ごすのでしょうか?

恐れずにやってみなさい。

やってみれば、どうなるかわかります。

問題はあなたが何を喜び、何を楽しいと感じるかですが・・・・。

2011.11.30