Real Angel ~本物の天使~
本日より師走~
西塔家の朝はふうと慧のケンカから始まります。
慧ももう4年生ですから力では負けていません。
最後はふうさんが泣かされて終わり。
親は当然介入しません。
子供のケンカですから、とことんやればいい。
暴力振るって(と言っても大したことないけど)相手をやっつけるのがどんな気分か、とことん味わえばいい。
逆もまたしかり。
これをどちらが悪いかなどと裁定して、怒りたい気持ちや泣きたい気持ちを押さえこむようなことすると、数年のちに問題を起こします。
そしてそれが小さい時に感情を抑圧した結果だということに親は気づきません。
当然のしつけをしたと信じ込んでいるからです。
間違ってるんだよなぁ、それ。
「子供は褒めて伸ばす」などは、親の間違ったエゴを助長する可能性を秘めています。
ある側面ではその通りなのだけど、ほとんどの場合、子供の能力を伸ばそうとか成績を伸ばそうとか、そういう子供の親でいたいという、完璧に親の自己満足のためだけにその言葉が使われるわけで、結局ロクな結果になりません。
たとえどんな事であろうとも、親は子供を全面的に受け入れなければならない。
でもね、ある限度を超えると僕も嫁さんも子供たちに対してブチ切れます。
親だって感情の抑圧なんかやっちゃいかんのです。
時には子供と同じレベルでやり合ってもいいんじゃない?
いい加減ね、今まで誰も正しい子育てについて教えてくれなかったし、知ってる人がそもそもいなかったという事実を認識すべき時でしょう。
僕たちはみんな天使なんだ。
広義においてはそうです。
しかし、もう少し定義を狭めていくと、天使というのは、いまだかつて輪廻転生の輪に入ったことのない魂のことをさす場合があります。
そういう天使というのは、考えてみると要するに今までその必要がなかったということです。
その位本来意識レベルが高い。
じゃあなぜ、どういう時に天使たちは地上に降り立つ決断をするのかというと、それは言うまでもなく人を助けるため。
あの人を助けたいと思い、その人が成長し結婚するのを待って、そこに宿るというのもあるでしょう。
もっと大きな目的、特定の個人ではなく社会全体、人類を救おうという魂もあることでしょう。
実はこの数行は、これを書き始めた瞬間には頭になかったことで、必要だから付け加えさされたのだと思います。
多くの場合、初めて人間として産まれてその窮屈さに馴染めず、普通の人になっていくか、あるいはいわゆる落伍者になっていきます。
天使で産まれてきてその目的を果たしている人はごく少数。
だからいまだにどんどん天使が産まれてくるのです。
最近よく話題になる赤ちゃんの突飛な名前のつけ方。
僕ですら、この字でこう読みますか?みたいな当て字をするのが多いです。
こりゃ、小学校の先生大変だわ。
名前はその子が産まれてきた目的を表し、その子自身が親につけさせている、という僕の持論から言うと、先ほどの話とあながち無関係とは思えません。
まさしく今、天使の大量降臨が起きているのだと思うのです。
少し脱線しますが、僕が近頃毎日見ている読売テレビのコーナーに「めばえ」というのがあります。
これはその日に産まれた赤ちゃんを紹介するのですが、これを見ていて、「産まれてきてくれてありがとう、今、この時代にその勇気を携えてきてくれてありがとう」と思うと、涙が溢れることもしばしば。
関西圏だけの放映でしょうが、午後6時55分位から。
天使がその役割を果たせるかどうかは、ひとえに親がそれを認識できるかどうかにかかっています。
親に認められないと、そして親が自分自身を見つめないと、彼らの天使の羽根はその姿を現さないようになっているのです。
なぜかというと、子供の第一の役割は両親の魂を救済することだから。
その役割が終わらない限り、自分のことができないわけです。
うちに来られる患者さんで、天使の人、結構いらっしゃるのですが、それは子供であることもあり、また大人であることもあります。
その人を見ればそれとわかりますし、実は口の中見てもわかるんだなぁ、僕くらいになると(笑)
でも、なかなか何かのキッカケがないと親や本人にそのことを伝えるのは難しいです。
一度、輪廻転生の輪に入った天使は死んだらどこにいくかというと、これはわかりません。
そのまま、その輪にいる必要はないと思うんだけど、果たしてどうでしょうか?
ただし忘れてならないのは、たとえ天使であったとて人間に生まれてくる以上はいくつかの過去世を身につけているということです。
当然、実際に自分が生きた過去世でないことが多いのですが、はるか高い次元で生きた過去世は身につけていたとしても厳密に封印されているでしょうね。
さて、ここでひとつ大きな問題に出くわします。
じゃあ、結婚しても子供が授からない人はどうなんだ?
そもそも結婚していない人はどうなんだ?
ということ。
皆さん、よく聞いてくださいね。
結婚しているしていないに関わらず、子供を授かっていない人であっても、天国においては実際にはその人の子供には産まれなかったけれど、その人のことをお父さん、お母さんと決めている天使たちがいるように僕は強く思うのです。
あえて産まれないことによって、(仮の)両親に必要な体験をサポートしている。
それをしている限り、その天使たちは別の両親を見つけられませんから、ずっとそのまま見守っているだけです。
だからどうぞ、安心して欲しいのです。
そしてもしそのことで(子供がいないことで)悩んでいる人がいらっしゃったら、是非ともそのように思ってもらって天国にいる天使たちに感謝してもらうと、何かがあなたの中で変わっていくと思うのです。
その天使たちはいわゆるGardian Angel(守護天使)かと言われると、さあどうでしょう?
もしそうなのなら、天使を子供として授かった親には天界に守護天使がいなくなることになります。
まあ、これについてはよくわかりませんし、どうでもいいことです。
アニメのフランダースの犬の最後の場面。
教会の中で念願だったルーベンスの絵を見ながら静かに息を引き取るネロと愛犬パトラッシュ。
するとすぐに天使たちが教会の高い窓の方から彼らを迎えにやって来ます。
アニメと侮るなかれ。
原作者にこのようなインスピレーションを与えたのは誰でしょうか?
それを通じて何を伝えたかったのか、もうお分かりでしょう。
生きる勇気、出ませんか?
よく「僕たちは決して一人じゃない」って言うけれど、本当はこれものすごく奥深い言葉なのよん。
もしどうしても子供が欲しいという人への話は明日。
なんか、うまいことつながっていきますね。
ちなみに本日の内容の主要部分は、先日の奈良臨床歯科医学大会で「ああ、ダルい」と思いながら聞いていて、思いついたものです。
それにしても、何だか今日のはホッコリと癒されるわぁ。
いったいぜんたい、誰がこれ書いてんねん?と自分でも思ってしまう(笑)
2011.12.1
いつも記事ありがとうございます
天使のこと今までは拒否感がありましたがこの記事を読ませて頂いてありがとうございました
さとうさん、いつも読んで頂いてありがとうございます。
著名な翻訳家の山川紘矢さんもご自身の本などでよく天使のことを書かれますが、彼の文章を読むとはっきり言って気持ち悪い。
なにを、ナヨナヨとした文章書いとんじゃ!となります、僕の場合。
しかし、ここで考えるべきは、紘矢さんの文が絶対的にナヨナヨしているのではなく、そのように捉えてしまう僕がいるということなのです。
なぜその文章に嫌悪感を示すのか、ということが大切なのですね。
天使のことにで拒否感があるのなら、それはどうしてなのでしょう?
あらゆることは、自分を深く知るためにあります。
その拒否感を探っていくと、もっと自分のことがわかって楽しいですよ。
善悪なんてないんだから。
これからも宜しくお願いします。
返信ありがとうございます
拒否感をさぐって自分を知るなんてすごいわくわくするうえに幸せになれるんですね
ありがとうございます
こちらこそどうぞ宜しくお願いいたします