夢の中の感情
どうして今まで気づかなかったんだろう?
夢の中の自分の感情はどんなだろうって。
それを見つめるということなど考えもしなかった。
夢を見て、ふと目を覚ました時に何度も夢の復習をすると、朝起きてからでも結構内容を覚えていたりします。
一昨日の夢もそうでした。
いろんな場面が出るのですが、嫁さん以外はほとんど学生時代の知り合い。
高校の時に好きだったDさんも出演してます。
ウトウトっと目が覚めた時に、はたと夢の中の自分の感情にフォーカスしてみました。
するとそこには、自分には本当の友達がいるだろうか?という微妙な孤独感と疎外感とそれを求めている自分がいました。
いまだにそういう深層心理が眠っているのか、と思いました。
でもどことなく精神的に独立した自分もいるし、そこには親友もいるにはいるのです。
また、これは実在の高校の同級生で僕と同性だけど斉藤という漢字の男が登場。
彼は学年で1番というくらいの成績で、確か東大に行ったはず。
そいつに向かって、明らかに見下した感じで「おまえみたいに頭だけ良くって、つまらん男は最低じゃ」と言ってしまいました。
要するに負け惜しみです。
このように夢の中でも僕の性格の核心をついた感情がいっぱい出てくるんだと、今ようやく気がついた次第です。
以前に「Mind in my dream~夢の中の思考~」の中で、夢の中でもその人独特の思考の仕方をするのだというようなことを書きました。
感情もそうなのですね。
もし、慣れてくれば夢の中の感情を素直に見つめていくことで、自分自身をより深く知ることができるかもしれません。
その夢の中で特筆すべきは、途中でオモチャのコーナーに立ち寄った時のことです。
僕の大好きな第二次大戦の時のTAMIYAのプラモデルとか、マシンガンのプラモデルとかその他諸々ありました。
マシンガンのプラモの箱を開けてビックリ。
中の細かく分かれたパーツまで夢の中で再現しているのです。
最も驚いたというか、懐かしかったのは「スーパージェッター」の塩ビのオモチャを見た時。
これ、確か同じものを4,5歳の時に持ってた気がする。
皆さん、記憶というのは恐ろしいもので、今思い出せと言われても思い出せないものも、きちんと脳の中にしまわれているのですよ。
2回目にインドに行った時にも、僕はセッションで0歳児の記憶を思い出しました。
人間って、スゴイなぁ、とつくづく思うのであります。
2011.12.3