なんでいきなりこんな話題になるのかわかりませんが、本日はこれで行きます。
当ブログではよく「神との対話」からの引用や、類似の内容が書かれていたりすることがあります。
これは決してパクっているのではなく、メッセージの出ている大元が一緒なので致し方ない部分があるのだということにしておいてください。
ただし、自分の中で完全に消化出来ていないものはここに載らないので、ここに書くという事はまあそういうことであります。
男女の出会いについてはサイドメニューに書いてあります。
どうして別れてしまうのかも書いてあります。
その別れというのは、お互いにエネルギーの奪い合いになってうまくいかなくなって別れてしまうというものでした。
本日取り上げたいのはそうではなく、合意に基づく発展的な別れについてです。
結婚に限らず男女関係というのは陰陽の関係であり、二つが合わさることにより新たな創造エネルギーが生まれます。
つまり男と女が一緒に協同創造作業をするのが夫婦であり恋人同士であるということです。
だからパートナーという呼ばれ方があるのね。
それはもちろん子供を作るということも含まれますが、それだけではありません。
一緒に何かを創造するというのは、例えば二人で陶芸教室をするというような狭い意味だけではないのです。
パートナーである事によって、自分が自分らしく生きられるということがあり、これも実は協同創造。
こういった男女が別れる理由はたった一つしかありません。
それは、もうこれ以上このパートナーと一緒にいても新たな創造が出来なくなったとお互いに感じた時。
こうなればこのペアはお互いに存在意義を失います。
だから解消すれば良いだけの話なのですが、そこで無理やり繋ぎとめようとするのが今の結婚制度という無理益体な契約です。
相手を一生愛するということと、一生その人と協同創造をするというのは同義ではありません。
このことをわかっていないから、結婚という制度そのものがうまくいかないのです。
そういう意味において離婚というのは全然アリなんですけど、今世間で行われている離婚はもっともっと次元が低い。
そもそも結婚の意味すらわかってないんですから。
話の途中ですが、ちょっと尾籠な話で失礼します。
ウンコをしている時に、肛門近くのウンコの手前(体内側)にオナラが溜まっているとします。
力んだ時に出口は塞がっているわけですから、オナラは行き場を失い逆流して口からゲップとして出る。
てな経験、皆さんありませんか?
僕はあります。
なんで途中でこんな話がはさまるのかもよくわかりません。
とりあえず「シャングリラからの臨時ニュース」でした(笑)
さて、話を戻しまして先ほどの離婚の件ですが、もし双方が合意するのじゃなく片方だけがこれ以上協同創造は出来ないと感じたらどうなるのでしょうか?
おそらくは、そのレベルで結婚生活を営んでいる人たちは、話し合いの上、うまく何らかの形の合意に達するのだと思います。
子育てでお悩みの方も多いのですが、そりゃ精神的にまだ未熟な状態で(親もそういう意味において子供だということ)子育てなどうまくいくはずがありません。
それでも何とかやっている今の社会はそりゃもう奇跡としか言いようがありません。
通常は属している小さなコミュニティーが責任を持って子育てに携わります。
多くは様々な経験を積んだ年長者がそれにあたります。
お年寄りは子供の言う事をたいてい聞きますよね。
子供はそこで自分があるがままで全面的に受け入れられるという経験をします。
もちろん子供のわがままをきくという意味ではありません。
きちんと社会的なルールは躾られます。
若い親は自分の成長に重きを置き、いつでも好きな時に子供に会い抱きしめることが出来る。
子供はきちんと産んだ親からの愛情を受け取ることが出来る。
本来、進化した社会というのはこういうものです。
今は自分の子供という感覚が異常に強い。
子供が親の所有物になってしまっています。
何日か前にも書きましたが、親が愛を抑圧され続けてきたからです。
自分の親に愛してもらったという記憶がないのね。
本当はすごく寂しいので、子供をつかまえて離さないという構図です。
僕なんかは自分の子も他人の子もほとんど区別ないですし、みんなが大切な社会の宝物だと認識していますが、世の中には自分の子だけ守ろうとか、自分の子だけには良い思いをとか考えている人が多すぎます。
今まで常識だと思っていたことが常識でなくなる日がすぐそこまで来ていますよ。
それを他人に知らされるのと、自分で気づくのとでは大違いです。
そろそろいろんな既成概念にサヨナラしませんか?
夕日でもあり朝日でもあるという図。
(ならまちワンネスビル屋上より若草山方面を望む)
2011.12.13
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