人生はトラック競技?
このブログを書いていてすごくうれしいメールを頂くことがあります。
最近では「いつも幸せの種をまいて頂いています」というのもそうですが、
「大切なことを思い出させてもらっています」というのもあり、これが何よりもうれしい。
「いやん、わかってはるやないの!」と思うわけです。
でも一方で、「幸せの種をまくなんて言っちゃって」、云々
という超否定的なメールもたまにあります。
おそらく、その全文をここに載せたら、読んでる皆さんが頭ブチ切れるくらいの内容が来るわけです。
例外なく人生の泥沼にはまっていて抜け出せない。
「ここはと思ったのに、な~んだ!
神とか、すべては自分が選んできたとか、
いい加減にしてくれっ!!
こんな人生、俺が選ぶわけないし、神様なんて言うヤツみるとムカつくんだよっ!」
ってな感じです。
わたくし、あんまり気が長い人間じゃないので、こういうメール見ると「ワレ、ボコボコにしばいたろか、カスッ!」と思ってしまうのです。
あくまでも思うだけですが、ええ人でしょ(笑)
でも、メールでは大人の対応を心掛けております。
昨日もくどい位書きましたけど、僕は宇宙の理、法則しか書いていません。
神様という言葉に嫌悪感示すのはちょっと横に置いといて、その他のことはそれが真実なんだけど認めたくないのなら、認めない現実をその人が経験するだけです。
当サイトを否定する100%の人が、書かれている内容をすべて読みません。
「こんなの読む気がないんだ!」と言います。
アホちゃうの?
あなた、苦しいんでしょ?
中途半端に読んだふりして人を判断しておいて、それはないだろう?と思うというか、そんな人は相手にもできません。
かかわりたくないので、「当サイトではあなたのお役に立てないと思うので、どうぞ他を当たってください」と返信するわけです。
「シャングリラからの伝言」が万人を救うと思ったら大間違い。
これはあくまでも法則集です。
それをどう活かすかで物事決まってくるので、問題は活かす人間の方にかかってくる、というのが僕の言い分。
だいたいが、「幸せの種をまく」のであって、「幸せにする」んじゃないからね。
今、あなたが1万メートルのトラック競技に参加しているとしましょう。
何週目かであなたは力尽き、地べたに這いつくばりました。
でも何とか完走はしたい。
ところが横を他のアスリートたちが駆け抜ける。
そのうち周回遅れになる。
周りの観客の声援が自分を応援しているのだか、自分を嘲っているのだかわからなくなる。
あなたは這いつくばりながらも、少しずつ前を向いて進んでいきます。
もう立って走る元気はない。
でも先ほどの状況を考えた時に、正直言って投げ出したくなる。
こんな自分の姿が恥ずかしいし、とっととこんな舞台から退場したい。
こう考える多くの人間がトラックから消える、すなわち自殺を選択します。
で、どうなると思いますか?
あなたは根っからのアスリートです。
せっかくオリンピックに出たのに1万メートルのトラック競技で棄権した。
次にあなたはどう考えるでしょうか?
そんなもの、もう一回チャレンジするに決まってますよね?
で、もう一回チャレンジしたらどうなるのかと言うと、また、同じ場所周辺で力尽きるようになっているのです。
どうします?
言っときますけど、あなたは前回棄権したことなど忘れてるんですよ。
ていうか、前回の棄権もその前の棄権を忘れていたからこそできたんです。
いつまでやるの?そんなこと。
だからね、もう一度よく考えて欲しいのです。
這いつくばって、ヨチヨチ歩きのようにトラックを進むのはそれは屈辱でしょう。
でもそれは、他の選手がいて、自分たちを見ている観客がいると思っているからですよね。
それらがすべて、幻想だとしたらどうでしょう?
言ってる意味わかります?
自殺したけりゃすればいい、というのが僕のスタンス。
そのかわり、絶対に前には進まないよ、ということを言っておきます。
トラックを這いつくばってでもゴールを目指す選手を誰が笑えるでしょう?
でもそうやってでも、とにかくゴールしない限り状況は何も変わらないのです。
僕がこう言うのもなんですが、まずもって僕自身が生きる証拠です。
そして今の状況に抵抗せずに、這いつくばってゴールをめざしていると、気がついたらそんなどころじゃなく、わたしは堂々と胸を張ってテープを切っていた、ということになる。
そのような報告が次々と来だしています。
本当ですよ。
どうか、自分を信じて、前向きに進んで頂きたい。
そうすれば自ずから道は開けます。
開けた道を堂々と進もうと思うから、間違うのね。
そんな道ないの。
あなたが行くところが道になるんだから。
ベタに決まった気がする、今日この頃。
2011.12.16