昨日の朝、G1になると僕の予想を聞きたがる以前行ってたミナミの店のホステスさんからきたメール。

「おはようございます。

今年も最後の競馬となりました。

振り返れば今年は一勝もしていないような・・・・それでも万馬券を狙って穴馬を買い続けたいです。

荒れると見込んで今年最後の穴馬教えて下さ~い」

僕の返信は簡潔に「7番」

 

今年の有馬記念はいかようにも考えられる難しくも面白いレースでした。

終わってみれば、「あのJRAの新聞広告のオグリキャップの記事は何やってん!」て感じですが、今年三冠馬となった池添謙一騎乗のオルフェーブルがシンボリルドルフ、ナリタブライアンに次ぐ史上三頭目の三冠馬になった年の有馬記念を制しました。

お見事の一言。

1着9番オルフェーブル(1番人気)

2着5番エイシンフラッシュ(7番人気)

3着7番!トゥザグローリー(9番人気)

3連単78,260円。

ナリタブライアンが勝った時のように、きっちり4番のペルーサが前日に出走を取り消しました。

これがなければオルフェーブルは勝てなかったのです。

有馬記念の大原則は世代対決であるということ。

つまり1着に3歳馬を買うのなら、2着は3歳馬以外の4歳5歳などを買うというのが常識。

僕は2着のエイシンフラッシュを持っていなくて撃沈↓

ま、世の中こんなもんです。

ところが、その10分後に行われた阪神メインの麻耶ステークス。

みごと6点で仕留めて、少し挽回。

なぜ取れたかというと、1着馬のサクラシャイニーの前走が「シャングリラ賞1着」だったからです。

そりゃ買うでしょ。

 

で、どのへんが言霊の力やねん?ということもあり、そろそろ本編に入っていきます。

昨日の夜、お通夜から帰ってきてからソロモン流で一青窈さんの特集をやっていました。

前にも書きましたが僕はカラオケで最近よく「ハナミズキを歌います。

彼女は中学生の時に父親に次いで母親も亡くしており、失意の中、自分の感情のはけ口が詩を書くことでした。

街を歩いていても、美術館やショップに行っても、いつもふと言葉やイラストが浮かぶそうで、それを書きまとめ歌詞にしていくこともあるようです。

見たものを自分の中で自分の感情や情念を通して別の言葉に変換しているのだといいます。

僕もそういう意味では、同様に言葉や文章やコンセプトが突然頭に浮かぶこともあり、僕が一青窈さんに共鳴するのは当然なんだなぁと思った次第。

 

クリスマスプレゼントをして本当に良かったと思うのは、今までメールのやり取りをしたことがなかった人との言葉のつながりができたこと。

今回思ったのは、人は無償でもらうということが本当にうれしいんだな、ということです。

これは誤解しないで欲しいのですが、タダで物をもらうという意味じゃないんです。

無償の愛にも通じる感覚で読んで欲しいのです。

何もお返しに求められることなく、ただ与えられると人は優しい気持ちになるようですね。

 

メールのやり取りの中で、あるいはブログのコメントなどを通して、僕は今、言葉の持つ強い力を実感しています。

ところが本の中で僕は次のように書いています。

「言葉は言霊であり大変に強力な道具ですが、しょせん言葉は言葉でしかないという面もあります。

本書の目的は皆さんのこころに幸せの種をまくことにありますが、この本を何回繰り返し読もうがそれ自体で幸せになるということはありません。

常に幸せな状態でいるためには、人生で起こる出来事を先入観なくそのまま体験する必要があるからです。

活字をいくら読もうが体験が与えられることはないのです」

これはまさしくその通りであるのですが、それでもなお僕は言霊の力を痛感せざるを得ないのです。

 

おそらくは書いてある内容自体はほとんど関係なくって、ある一つの言葉、あるいは文章全体、あるいはこのホームページ全体がひとつの言霊として作用し、僕たちが忘れている何かを思い出させてくれるのかもしれません。

閉じている脳の回路を開く、閉じているDNAの回路を開く。

その結果、自分が何をしにこの地球に来たのかを思い出す。

そういうことではないでしょうか。

言葉の霊(いのち)とはつまり、言葉もその実態は霊的なものであり、文字を目で見たり耳で聞いたりする以上のもの、光であり音であり振動であり神の意思そのものであるのだと思います。

そういう意味から「シャングリラからの伝言」を眺めれば、結構イイ線いってる気がする今日この頃。

 

ところで一青窈さんって、それ全体がひとつの芸名だと思っていたんですが、一青(ひとと)が苗字で窈(よう)が名前だって皆さん知ってました?

2011.12.26