日本では不思議とイエスの誕生日はクリスマスとして祝うのに(祝うという言葉が適切かどうかは別)、お釈迦様の誕生日はほとんど無視ですね。

どうしてでしょう?

もちろんお寺では「花まつり」としてお祝いしますが、一般人はほとんど参加しませんね。

僕が小学生の頃は、親戚のお寺の日曜学校に通っていて、花まつりには門徒さんや近所の婦人会の人たちが大勢集まってそれは賑やかなことでした。

今は塾や習い事でそれどころじゃないですよね。

門前の小僧習わぬ経を習うというのは今の時代にはあり得ないのかもしれません。

 

一昨日のお通夜でもお経を聞いて思ったのですが、お坊さんの言うことというのは実につまらん。

「お釈迦様の教え」みたいなことを言うでしょ。

本当に悟った人は教えなんて言わないと思うんですけどねぇ。

今そうと語られているのは、すべて伝わってきたものであって(お経も聖書も)、本人が本当にそう言ったかどうかなんて誰一人知らないのですよ、少なくとも今生きている人間はね。

でも「シャングリラからの伝言」は皆さんON TIMEで読んでおられるわけです。

そこが根本的に違うのです。

 

本日も自画自賛でいきますが、意識レベルがすごく高くなった人が他人を導こうとするとすごく無理がでてくるのです。

一般人との差があり過ぎて、結局どうすればそのようになれるか?という方法論に行きついてしまう。

これ全然いけてません。

ダメです。

なぜって先ほども言いましたように、聖書やお経で誰かが幸せになりましたか?

守らなくちゃならないことばかりで苦しみだけしかやってこなかったのじゃないでしょうか?

どうしてそこに誰も気づかないのだろうと不思議でならない。

 

本当の本物の聖者(マスター)はただ相手の中に完璧さを見るだけです。

それ以上でもそれ以下でもありません。

かつてイエスはそうでした。

きっと仏陀もそうであったと思います。

「シャングリラからの伝言」は皆さんの目にどのように映るでしょうか?

 

皆さんがここで見るのは、ある普通の男の目覚めの過程です。

それをON TIMEで読まれているわけです。

その男は皆さんのはるか先にいるわけじゃありません。

「シャングリラからの伝言」はおそらく半歩先くらいでしょう。

手を伸ばせば届く距離です。

僕はほんの1cmくらい前にいて、横から見たらほとんどわからない。

そのたった1cmの差は単に思いだしているかどうかの差で、はっきり言って皆さんよりいち早くメッセージを受け取っているというだけの話です。

そんな感じがfeel so good!

だから好きなの、シャングリラ!

2011.12.27