幸せへの道標
奈良の歯科医院は通常木曜休診なので、本日まで休みのところが多いのじゃないでしょうか。
当院も同様でして、明日より仕事はじめ、本日は金杯。
年末から長女の藍が帰ってきていて、久しぶりにゆっくり(騒々しく)家族5人で過ごすのはすごく幸せ。
ここで言う幸せとは・・・・ああ、もう面倒くさいっ(笑)
彼女と過ごしてみてしみじみ感じるのは、中2の藍の中身は(頭のことじゃないよ)小学校の時のままということ。
いまだに小学生の純朴さがあります。
テレビを見ずに、学校でいろんなものに縛られずに、好きなことだけをしていると、子供というのはかように育つものかと驚きます。
すると、あの日のあの時、京都の城陽市の自然公園で僕が小さな藍にひどく叱ってしまったことを、藍がまだ小学生の状態のまま謝れる日が来るような気がしました。
少しホッとするのです。
僕が今の僕であるのはひとえに子供たちのお蔭。
彼女たちがありのままの僕を受け入れてくれたからです。
それ以降も紆余曲折ありましたが、何とかこの位置に立つことができました。
人が苦しむ原因は、変えられないものを変えようとするから。
その最たるものが自分自身です。
自分を変えようとして変わらなくて苦しんでいる人の何と多いことか。
変わらなくてもいいよ、と言っても自分が変わらないと今の苦しみから脱出できないと考えてしまうのです。
これをそう為らしめている要因が自分の個性を否定してしまう、標準と比べてしまう、トラウマに文字通り操られてしまう、といったことです。
皆が標準的な人になり、あらゆる出来事を標準的に体験したら、宇宙の多面的体験が成立しなくなるというのに。
でも自分の否定というのはなかなかにやめられないのですよ。
であればね、とことんやってみるのです。
トラウマの操り人形となってしまいましょう。
ただし、そうなっていることを認識しとかないとダメですよ。
無理に自分を変えることなく、そのダメだと思ってる自分でとことん生きてみるのです。
もちろん苦しいでしょうし、悩むでしょうし、さまざまな軋轢を生むでしょう。
それでもそのままやり続けるのです。
それが、あなたが体験したかったことなのだから。
そうすれば、案外早くそこから抜け出せる。
皆が迷子になるのは、中途半端に良い人になろうとして、どの体験もこれまた中途半端に終わってしまうからです。
これだとどこへも行けなくなってしまいます。
いつも言うように、とにかく何でもいいからやり切るのです。
それが一番の早道。
僕もエゴのゲームをやり切って、そのことに気づいたからそこからいち早く抜け出せたんだと思っています。
もちろんその後もエゴのゲームは続いているのですが、少なくともいつも僕の認識のもとにありますから、以前とは全然違います。
このあたりのことは、明日お話しましょう。
もし二日酔いでもなく、怪我もしてなかったら(笑)
僕の幸せへの道標はこの人たちです。
2012.1.5