完璧さを見る大切さ

え~、スピリチュアルやってるやつの中には、いまだに闇の勢力とか世界の裏事情だとか言ってるスカタンがいます。

当ブログもそういうこと書いていました。

これね、知った当初は確かに驚くし、「え~!?そうやったの?」と思うわけです。

それで知ってることがちょっとした自慢で、他人にしゃべったりなんかするわけね。

聞いた方も驚くからこちらはうれしくなっちゃうわけです。

確かに、そうした事実があることは認めますが、もうそんなことを知る必要もないだろうというのが僕の考えです。

 

世界の裏側で暗躍する人たちの存在をただ認識するだけなら良いのですが、どうしたって人はそこに怒りや蔑み、不安や恐怖を抱いてしまいます。

これがダメなんですね。

そうすると相手はますます強くなってしまうのです。

こういうこと好き好んで書いている人で中丸薫という女性がいまして、以前は何冊も必死になって読んだのですが、今となっては彼女の僕の中の評価は最低ランクです。

一応お断りしておきますが、他人を否定しない、批判しないというのはそうなのですが、相手がオピニオンリーダーの場合、僕は違うものは違うと述べます。

 

これからは嘘や誤魔化しが効かなくなるので、福島原発事故にしたって結局はすべてが明るみに出されます。

だからあえて社会構造の裏側に興味を持つ必要もないと申し上げたい。

 

僕の経験上の話をしましょう。

かつて大学の医局でのはねっかえりだった僕は、気配りの出来ない男というレッテルを貼られたことがありました。

何かのきっかけでそういうことを言われだしたのだと思うのですが、一度こういうレッテルを貼られると、こちらとすれば身動きできなくなるんです。

つまりごく普通に気配りをしようとしても、わざとらしく受け取られるんじゃないかと思うと身体が動かない。

そのうちだんだん本当に気配りの出来ない男になっていく。

実はこういうことって日常生活で頻繁に起こっているんですよ。

気が付いていないだけです。

最もよく見られるのが子育てでの場面。

 

犬だってね、毎日「タマ」と呼ばれていたらそのうちニャンと鳴くようになります。

人間だってそうなのです。

 

いつまでも利己的で物質主義の人、そういう人が裏側で暗躍するわけですが、その人たちをそういう目で見ると、世界は何も変わらない。

彼らがそうあるというのが問題ではなくて、彼らをそう見るのが問題なのです。

彼らもワンネスの一側面。

ただ、テロや戦争、虐殺もワンネスの一側面なのか?と問われると大変につらいです。

つらいですが、そうであるとしか答えようがありません。

僕の中ではそれらはすでに概念と化しつつあります。

他人事だとか無責任だとか言わないでね。

そういう意味ではないのです。

 

苦しんでいる人を助けたいと思う気持ちは人として当然でしょう。

でもそれをその人が覚醒していないからだとか、〇〇を知らないからだとか、ディクシャを受けていないからだとか見ないで欲しいのです。

そう見るとその人が劣った人になってしまいます。

そうではなく、その人は確かに苦しんで入るんだけれど、それでもなお完璧なのだと見ることこそが重要なのです。

何度も言いますが、助けを求められたら癒してあげてね。

あくまでも求められたらですが。

 

患者さんでもそうでして、問診票やその人の出しているエネルギー、口の中の状態(特に唾液の性状)、会話などからその方の大まかな人生がわかるわけです。

本人は気づいていないけど、こういう感情を押し殺してるな、とかね。

それできっと身体のこういうところに問題が出るやろうなと思って問診票見たり、本人に聞いたりすると、ああやっぱりそうや。

その関連付けが正しかったことで僕は自分の中でちょっと自慢げになり、だからあなたそうなのよ、みたいに裁いてしまっていました。

あくまでも以前そうだったという話。

 

今はね、そういうことなくなりました。

関連付けまでは必要があればやるけれど、あとはそこを裁くのではなく完璧性を見るだけ。

これは愛とも言えるかもしれません。

だんだんそんなふうになってきて、少しは成長したのかな、と思う今日この頃。

本日は一日、大阪歯科センターにて見学。

2012.1.12

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「完璧さを見る大切さ」4件コメント

  1. ハト より:

    初めてコメントさせて頂きます。
    素晴らしい!
    少し前に、こちらに偶然、いえ必然的に巡り合え一気に過去記事を読破しました。
    私の中の、言葉にならないもどかしい思いが文字になり、スッキリ爽快です!嬉しい。
    ところで、口の中の状態と人生についてが気になります。機会があれば、書いてみて下さい。

  2. Dr.KAPPA より:

    コメントありがとうございます。
    口の中とその人の関係については、サイドメニューにも過去ログにも書いてあると思います。
    例えば唾液の量や性状などはそのひとの自律神経の状態を表します。
    どの歯にトラブルがあるかで、その心理的あるいは社会的原因がわかることもあります。
    しかしあくまでもこれらは参考程度のもので、診断は総合的になされるべきです。
    ですからあまり詳細に素人向けに書くのは如何かと思いこの程度にしております。
    そもそも人の人生の診断などそれこそ余計なお世話じゃないですか?

  3. ハト より:

    日が経ってしまいましたが、改めまして、お返事もありがとうございます。
    数ヶ月前に、あまりの歯痛でこちらを知りました。当時の痛みを取り除きたい一心で覗いていたPCから、私の奥でくすぶるものが、まさかこんな歯痛を通じて紐解かれていき驚きました。
    己の無知さを痛感し一気にサイドメニューを読破していました。
    それらは、絡まりすぎて放置していた事に着手する動力となり、心を軽くする文章でした。
    しばし時が経ち、書き込みをした日は、音信不通だった十年ぶりの友に会った後でした。
    少し昂ぶって眠れず、フラフラとこちらに立寄り、もう何も恐れなくていいんだと後押しされた気になり、嬉しくなり書いてしまいました。
    しかし、お返事を読み、過去の読んだつもりの内容を覚えてない事に軽くショックを受けつつ、高揚した気分でコメントしたことを後悔しました。
    他に看取る人のいない親類の介護が始まり、持病のせいか?口が乾く、粘つくといつも訴える方がいます。その方を深く知らずに始まった介護で、どこまで手を貸せば良いのか?何が本当に役立つのか?試行錯誤中でして、安易にお尋ねしました。
    援助がなければ、生きていけず求められ、私が役立つなら、と関わり始めてから拘りの強い方だとわかり戸惑う日々です。
    でも、改めてわかりました。こういうことを、毎回尋ねて本を読んで、セラピー受けて…と解決策を探してたこと。
    当たって砕けろ、ほど大げさではないですが、目の前に相手はいるんですから。顔を見て、心をつないでみれば、唾液を気にしなくても、何が嬉しいのか、嫌なのかわかりますね。
    どうやら、嫌われることを私が恐れていたようです。
    長文になりましたが、また気まぐれに立読みさせて下さいね。

  4. Dr.KAPPA より:

    ハトさん、どうもです。
    介護の現場のこととなると話は全然変わってきます。
    僕は単にスピリチュアル的なことだけでお聞きになっていると思っていました。
    介護における口の中のケアの仕方は黒岩恭子先生の書かれたものを読まれることをお勧めします。
    実は口のケアやリハビリは身体全体に大きく影響します。
    大変でしょうが、また何かありましたらお問い合わせください。

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