あおい鳥の住処

フウさんは今、6年生なのでクラスの友達の中には受験で学校を休む子もいるようです。

僕らの時も、受験の(試験の)日は休む友人がいました。

今はね、受験勉強のために学校を休むらしいのです。

はあ?

フウさんが嫁に「もしわたしが受験して学校休むて言うたら、お母さんはどう言うか?」と聞いたそうです。

嫁は「そんなもん、引きずってでも学校に連れていくわ」

当然やろ、そんなもん。

話にも何にもなりゃせん!

 

広島の脱走犯が捕まったのは、嫁の実家のすぐ近く。

ニット帽被ってマスクしてたらそりゃすぐ見つかるっつうの。

それでもって、すぐに空き巣に入って盗みも数件して、確固たるものを持ってますな(笑)

小学校がすぐに父兄に迎えに来させるのが、まあ当然とはいえ笑わしてくれる。

 

例えば経済的に貧窮している場合、その貧乏を体験したかったのかというと、まあそれもあるのですが、本当に知りたいのは豊かさについてです。

僕たちは通常愛されるの反転としての愛の渇望、豊かの反転としての困窮、健康の反転としての病気、許しの反転としての絶対に許せないこと等を表面上は体験しますが、実際に知りたいのはその向こう側にあるものです。

 

ここでは豊かさというものについて考えてみましょう。

億万長者であれば豊かでしょうか?

豪邸に住んでいれば豊かでしょうか?

家族が円満で多くの信頼できる友人がいれば心豊かでしょうか?

さあ、どうですか?

 

物質的なことを言うならば、お金というのもエネルギーです。

エネルギーは常に流れるというのが自然の摂理。

一カ所に留まったままというのは不自然なのです。

では、経済的に豊かであるとはどういうことでしょうか?

豊かということは、自分の所にたくさん貯蔵しているということではなく、いくらでも必要な時に必要なだけ引っぱってくることが出来る大元があることではないですか?

そうであるなら、余分に溜めこむ必要もないし、払うべき時に払うべきだけのお金があればいいわけでしょ。

これが皆がそうであるのが、本当に豊かな社会ということです。

皆が均等ということではありません。

多くのお金を動かすような仕事をしている人と、小さな商いをしている人とでは須く違います。

でもその人が必要なものがその時に流れてくる、これこそ豊かさであります。

ここでのポイントはね、豊かさの元をを誰かからもらうとか奪うとかではなく、宇宙の根源と繋がっていることを自覚しておれば、自然とそこから流れてくるということ。

つまり豊かさの本質は、外側に求めるのではなく、自分の内側にあるのだということです。

 

では心の豊かさについてはどうでしょう?

先ほどのように、親や配偶者、子供や友人にそれを求めたとしたらどうでしょう?

親は通常先に死にます。

配偶者だってそうかもしれません。

子供は独立してどこかへ巣立っていきます。

友人だって常に変化しますよね。

ではあなたの心の豊かさは決して一定にはならないのでしょうか?

これも同様で、それを外側つまり誰か他の人に求めるとおかしくなります。

心の豊かさの本質は自分の内側にしかないのです。

あらゆる感情、許し、寛容、優しさ、それらを包括して愛というならば、それを他人に求めるのではなく、自分の奥深くにある真我、真我の向こう側にある大いなる存在、そこから流れてくるのではないでしょうか?

 

繋がっている感覚というのは、ことほど左様に大切なのであります。

考えてみれば、人生とはまさにそのことに気づく旅とも言えますね、今のところ。

何ごとも外側に求めると、いつまでたっても得られません。

仮に得たところで、すぐに失います。

だって外側の世界は常に変化するから。

本のオビにも書いてあるのですが、「人は皆、幸せを求めているはずなのに、幸せが何かを知りません。わからないものを求めているのですから、永遠にたどり着きません」

幸せだってそうなのですが、何かの条件を満たしておれば幸せだということじゃないんですね。

 

本日のメッセージは心に届く人には届くというものでありました。

今日は午前中、年初にかえる庵のトイレで酔っ払ってこけて壊してしまった眼鏡を作りに行き、昼から歯科医師会館で症例検討会。

なんだか最近、ま~た毎日が楽しくなってきちゃったよん。

2012.1.15

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