日本人の死生観
わたくし、池波正太郎氏の「剣客商売」が大好きでして、何度も文庫本を読み直しております。
一度一巻から読み始めると止まらなくなり、何日かかけて最後まで読んでしまいます。
現在もそのまっ最中。
他には「真田太平記」というのも読みました。
最初に読んだ時は面白く、忍者の活躍が非常に躍動的に描写されているのにハラハラドキドキしたものです。
ところが二度目に読みなおそうとすると、途中でしんどくなって断念。
「剣客商売」の大好きなところは、やたらと江戸時代の蕎麦屋や料理屋での飲食のシーンが出てくるところ。
今と違って料理自体はそう複雑ではないものの、その描き方が抜群。
単純だけど旨そうなんです。
「や、秋山先生、こりゃ良い酒でござるな」などと書かれた日にゃ、僕の喉はゴクリと鳴るわけです。
僕が寺田本家のお酒を好むのは、おそらく秋山小兵衛や大治郎たちが飲んだのはこういう酒じゃなかろうか、と思うからであります。
池波作品を通じて非常に印象的なのが、当時の人々の死生観です。
基本的に剣を使う人たちの話なので、当然と言えば当然ですが、死はすぐそこに転がっています。
池波氏の描き方のせいもあるのでしょうが、登場人物の多くは死に対して非常に潔いです。
「ああ、おそらくはこの戦で死ぬるな」とか
「これはもういかぬ」とか。
人生50年と言われた時代ですが、それにしても現代とはずいぶんに違います。
生は常に死と隣り合わせ、いつでも死ぬ覚悟があったのかもしれません。
僕が6,7歳の頃、テレビを見ているとやたらと交通事故で人が死んだというニュースばかりが目につきました。
当時の僕は、30歳や40歳まで無事に生きるのは至難の技で、それまでに死ぬ確率がきっと高いんだろうと漠然と思っていました。
せっかく生まれてきたのに、残念な気持ちと恐い気持ちとやりきれない気持がないまぜになっていた気がします。
今思うと、ことほど左様に社会的通念とかマスコミによる刷り込みというのは強敵だということが、つくづく身に沁みるのです。
巷ではアンチエイジングが全盛です。
抗加齢学会などというのもあります。
いつも申しますが、生きることのなんたるかを知らないくせに、加齢に抗うなどと片腹痛いわ。
そもそも加齢というのが悪という感覚がおかしい。
年をとると身体も心も変化します。
それって素敵なことじゃないですか?
若い時に出来たことが出来なくなることもそりゃあるでしょう。
でも若い時には出来なかったことが出来るようになることの方が多いのです。
意識が目覚めていくと、このことはごく当たり前のこととして認識されるのですが、いったいアンチエイジングなどと言ってる人の頭の中身はどうなってんだ?
身体に有害なものをこれだけ放ったらかしにしておいて、このサプリを摂ったらとかいうのは本末転倒でござる。
どうすれば若々しく健康になれるかというと、人間は元来そのように神様が作っているので、身体を痛めつけるようなことをしなけりゃ良いだけの話です。
死というのは現代でもいつ起こっても不思議ではありません。
それは安全でないとかいう意味ではなく、死を決めるのは自分の中の深い意識の部分なのであり、そこがもう十分に体験したとなったらいつでもこの世を去るのです。
表層意識にはそれは通常わかりません。
ただし、深い部分からそれとなく知らされることもあります。
とにかく、意識的に生きる。
この世界を満喫する。
ひとつひとつの瞬間が珠玉のようなものなのだと感じて生きる。
ただそれだけ。
僕たちは永遠の中の瞬間を生きているのです。
