Believing is Seeing ~信じるからこそ見えてくる~

通常 Seeing is Believing. といい、日本語では「百聞は一見にしかず」と訳されます。

これがBeieving is Seeing. となりますと「一見は百聞にしかず」になるかというと、こりゃ誤訳になります。

~一度、それを見たら(体験したら)信じられるよ~

果たして本当にそうでしょうか?

頭のすご~く固い人は、目の前でサイキックサージェリー(ヒーリング)などを見ても信じないでしょうし、UFOが降りてきて宇宙人にキスされても信じないでしょう。

そんなもんです。

 

2チャンネルに限らず、時々当方の記事をみて「こいつ頭おかしい」と思う人がいらっしゃるようです。

見ている視点が違うし、捉われていたり縛られていたりするのが違うし、してきた体験が違うのですが、それでもやはり人は否定したがるようです。

ほんの数行読んだだけで、「こりゃダメだ」と思って全体を読まないし読む気もない。

それは良いのです。

その人の今の段階ではそう感じられるというのはわかるから。

だからといって否定しても始まらんでしょうに。

 

考えてもごらんなさい。

もしね、自分が納得できるもの、得心できるもの、共感できるもの、そればかり追っかけていたら、あなたね、人間進歩すると思いますか?

自分と同色のものの中で自分の色なんてわからないですよ。

これやると、通常自分の姿が見えなくなって気が狂います。

だったら違うもの、理解できないものがあっていいじゃん。

ま、僕は人間出来ていますので、そういう人見ると「このボケが!」と思うことにしています(笑)

 

「神との対話」でも書かれていることなのですが、実は人は信じるものを見るようになっているのです。

だから信じないものは見えない。

よく聞きませんか?。

会社のガラス窓の外側に大きなUFOがいる。

あれ?どうしてみんな気がつかないの?

え?みんなには見えてないの?

あたしだけ?

てなことが。

 

UFOを信じるからUFOが見えるということではありません。

要するに、物事を信じるとか信じないとかいうスタンスではなく、自由な心を持っていると、今までの常識では考えられないこの世界のもっと深い部分が見えることがあるということです。

僕だっていろんな不思議なものを見てきましたし、今でも見えることがあります。

それは僕が神秘体験を望んでいるからではありません。

ただ僕は何も考えていないので、そういうのを見せられたりするという話です。

 

初めて僕がサイキック・サージェリーを受けたのは、横浜での歯医者の勉強会を主催しているS先生の導きによるものでした。

あれは僕が広島にいた時だから、17年前。

一般の方も多数来られていて、僕たち勉強会のメンバーも十数名。

術者はかのアレックス・オルビト。

S先生は始まる前に僕たちメンバーにこう言いました。

「もうしばらくしたら皆に受けてもらうけど、ひとつお願いがあります。こういうのを信じるとか信じないとか考えるのはやめて欲しい。とにかく何も考えずに、ただ体験してください。そしてどう感じたのか?それが大切なんです。」

 

僕があまりものを考えなくなったのはこの時からです。

サイキック・サージェリーを受けてからじゃありません。

このS先生には僕は当時、絶対的に傾倒していたので、S先生がそう言ったから考えないようになったのです。

考えないといっても、既成概念で物事を判断しないということです。

ディクシャとかを知る前に、僕にはそういう素地があったのです。

 

時々、メールのやり取りの中で「私にはそんな体験はないし」とか「全然エネルギーとか感じられなくって」とか言われる方がいらっしゃいます。

僕はそういう人を劣っているとかなんとか思わないわけです。

神秘体験が無い、エネルギーを感じられない、という事実があるだけです。

ただし、これが「だからあなたの言うことは信じられない」とか「エネルギーなどといい加減なことを言うな」などとこられると「ちょっと待ってよ」となるわけです。

信じられないのは構わない。

あなたが既成の尺度に縛られているということを示しているだけだから。

それとて劣っているわけではありません。

 

エネルギーは僕には見える、その人には見えない、

だから出鱈目を言うなというのはおかしいでしょ。

これは明らかに劣った人間のやることです。

でも、それもその人が全プロセスの中のその位置にいるというだけなんですけどね。

ここで劣ったというのは、プロセスの位置の違いを述べているに過ぎません。

魂レベルで劣った魂などというのは存在しないから。

 

Believing is Seeing は本当はこちらの方がより的確な言い回しかもしれません。

Free from mind, you can see anything.

既成概念から自由になれば、あなたは何でも見ることが出来る。

つまり、概念に縛られている人はそれだけ見える世界が狭いということでして、面白くないと思うんだけどなぁ。

視野が拡大すると楽しいですよ。

僕が言うのもなんですが、他人を受け入れられるようになるし、そうなるとストレスが減ってきます。

拡大した高い視点を持ちながら、でも現実世界をしっかり生きる。

誠実に仕事をする。

ガブガブ酒を飲む。

ジャバジャバ競馬に金を使う。

あ、こりゃダメか(笑)

なに言ってんだか、オレ。

2012.1.19

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