今週は月曜から木曜までお酒飲まなかったので、昨日くらいは良いだろうと街を偵察に出ていました。

三条通りをJRに向かって歩いていると携帯が鳴りました。

「もしもし~、雄町ですけど。今日7時から集まるのん忘れてはりませんよねぇ?」

忘れるというのは覚えていた事を忘れるわけです。

覚えてないものは忘れようがありません。

なんですか、それ?

どうやら、7時から蕎麦屋の雄町さんでお酒の会を催し、皆さんすでに来られているとのこと。

慌てて駆けつけました(でも3分くらいで着いた)

すでに7人いらっしゃって、平謝りに謝り、まあ最後はグチャグチャになるんですけど。

う~ん、僕の心の中の消しゴム恐るべし。

だから、飲んでる時に僕と約束事しちゃだめだって。

でも、前回来た時に「2月2日が誕生日だから次の日の節分の日ににしましょう」って言ったの僕なんだって。

・・・・・・・。

本日、午後から横浜に勉強会に行ってきます。

というか、新年会です。

どうなることやら。

 

考えてみれば、叔父が亡くなった時にも叔父の霊のエネルギーを感じたことがあるし、サンタクロースもそうだし、時々何かがきているのも感じるし、霊の話を嫌いというのもおかしな話なのです。

すでに書きましたように、天国とつながるというのは何も特別なことではありません。

江原啓之氏のように霊が見えるようにならなければ、ということでもありません。

僕たちがその世界に心を開けば、いろんなメッセージが来ていることに気がつくよ、ということです。

それはなにも死んだ御先祖さんだけじゃなくって、シャンバラの人たちだって一種の霊体みたいなものですから、このブログだってそのお蔭で出来てるようなものです。

 

昨日長々と書いた、自分の家系の縦のライン。

親がやろうとして出来なかったことを子供たちが統合していくというのは、実は「聖なる予言」にも書かれていることなのです。

何度も読んでいるにもかかわらず、自分に当てはめてみても何も浮かんできませんでした。

それが4日前に急に頭の中で霧が晴れるが如くわかったのです。

 

その時だったか翌日だったか忘れましたが、不思議な体験をしました。

僕は寝瞑想(ねめいそう)と呼んでいるんですが、要するに意識は瞑想状態だけど寝転がっている姿勢をとっていると、閉じている目の前に誰かの目がパチクリ瞬きをしているではありませんか!

目はひとつだけ。

誰の目だかわかりません。

もしかしたら僕のサードアイ(第三の目)がこっち向いてるのかもしれません。

恐い感じはひとつもなくって、当分見つめ合っていました。

 

僕は嘘がつけません。

人生50年も生きてりゃ、うまく立ち回らないといけないこともあるのですが、例え損をしようとも腹芸をするということができない。

僕の唯一の取り柄といえばそれかもしれません。

でも、それが結局は僕が進むべき道へと導いてくれるシンクロを呼び寄せるようになるのです。

僕の進むべき道って?

 

昨日も書いたように、西塔の家系とすれば”真の豊かさとは何か?”なのかもしれません。

それ以外に僕個人の問題とすれば、名前に着目するしかない。

治という字です。

「さんずい」は言うまでもなく水です。

水は情報伝達の役目をもっています。

我々の身体の中では腎臓系統がその任にあり、あらゆる感情と関係していると言われる所以であります。

ムは天を表すそうです(加治将一さんの本に書いてありました)

口は人を表すそうです。

じゃあ僕の道って・・・・・・まさに今やってることじゃん!!

ということでございます。

 

じゃあ治という名前の人は全部そうなのか? と聞かれてもそりゃ知りません。

ほしたら手塚治虫は、天と人間と虫をつなぐんか?と聞かれても、そんなもん知らんっちゅうねん。

以前から名前はその人の生まれてきた目的を表すと書いていましたが、自分の事はわかりませんでした。

でも今、この時になって、それが合っているのかどうかわからないけど、そうなんだと納得するわけです。

なぜかというと、もう後戻りできないところまでメッセージを出し続けてきたから。

僕が思うに、ある程度までその道を行き切った時に、実はそうなんだよ、と教えてもらえるのかな?

 

僕はよく、ワンネスという頂上へ向けて様々な道を行く人がいる、という表現をします。

シャングリラからの伝言に沿った道を行く人もいる。

もしかしたら僕がその先頭にいるのかもしれない。

アンマ・バガヴァンの導く道を行く人もいる。

中西研二氏他のワンネス・トレーナーの後を行く人もいれば、世界中のありとあらゆる頂上を目指しているグループがそれぞれの道を登っているのです。

往々にして、自分の道だけが唯一のそこへの道だと、口では違う事を言っていても、心の底ではそう思っていたりします。

でも、どのグループもそれぞれ強いところもあれば弱いところもある。

本来は統合されるべきものでしょう。

もしそのような状態のまま登り続けていったとして、皆が頂上に着いた時に本当に溶け合うことが出来るでしょうか?

そこにワンネスの立て看板を見ることができるのでしょうか?

 

皆が、宇宙の霊的な法則と常につながっていて、天国に向けて心を開いてそこからのメッセージや智慧をインスピレーションとして授かって、そして自分の外側にも内側にも神を感じ、神を体験していれば、あなたの中は愛で満たされていきます。

そうなると自分だけが絶対とは思わなくなります。

それぞれの道を行く人たちが、お互いに相手の心とつながっていれば、頂上に着いた時に皆がサーッと溶け合っていくことでしょう。

その時、僕たちは今の肉体を脱ぎ捨て、霊的な肉体に変化していくかもしれません。

天国と地上との合一の瞬間です。

それを見届けてから、天国にいるより次元の高い存在たちは、自分たちの旅を再開するのでしょうか。

これがアセンションと呼ばれるもののような気がします。

 

このことが腑に落ちてから、僕の中の愛は拡充しました。

 

きっかけはすべてY氏からのメールです。

彼は単に自分の聞きたい事を聞いただけでしょうが、その後僕の中で起こった変化は、まさに50歳の誕生日を迎えるにふさわしいものでした。

ではなぜ、よりによってその日のその時間にY氏はそのメールをくれたのでしょう?

このように僕たち人間の向こう側では、明らかに霊的次元の、天国からのサポートが働いているのです。

 

もしかしたら、今、僕の目の前で、ワンネスの最終扉が開いたのかもしれない。

 

2012.2.4