人生は大相撲のように(利き酒会でも可)

今朝のNHKの「あさいち」で、ガンワクチンのことが報道されていました。

こういうのがあるというのは、「いやしの村だより」にケビンが書いていたので知っていましたが、これからは自己免疫力をアップするような薬がどんどん出てくるようです。

何にせよ、患者さんにとっては福音かもしれませんね。

僕が唯一危惧するのは、癌の直接・間接の大きな原因である食品添加物や農薬の問題が、薬の開発により置き去りにされないかということです。

何でもそうなのですが、原因を放置したまま結果だけを改善すると、次はよりシビアな状況が訪れます。

すなわち出産率の低下と奇形児の増加です。

食品産業に携わっている人々が真の心を取り戻すことを切に祈ります。

 

さて、最近結構マジなメール相談がいくつか来ますので、少しそのことについてお話ししておきます。

当方のメッセージを本当に腹に落としているなら、人生のどんな出来事でも自分で解決できるはずです。

解決とは目の前にあるつらいことが瞬時に消え去るということではありません。

そのつらいことが、あなたにとってあまりつらいことでなくなるということであり、捉え方の問題で出来事が変化するわけではありません。

メールをくださる方は、毎日楽しく拝読しています、と書いてこられます。

では読んでいるにもかかわらず、どうして腹に落ちないのでしょうか?

しっかりと読んでいないから?

一回しか読んでいないから?

 

それはね、メッセージを頭だけで理解しようとして、実際の体験がないがしろになっているからです。

ここで大相撲が出てきますねん。

人生という土俵で、あなたは相手とがっぷり四つに組むことなく、適当に突っ張りをかまして、いかにも相撲を取っていますという振りをしているだけ。

その体験に近寄って欲しくないわけです。

例えこういう相撲で勝ったとしても、また同じような相手がやってきて、あなたは永遠に突っ張り続けないといけなくなり、やがて疲れ切ってしまいます。

四つに組んで相手を寄り切ろうが、自分が土俵に投げつけられようが、その形の相撲を取ることが大切なのであって、そうすると次の対戦相手はまた違うタイプになります。

次の相手にも負けるかもしれないけど、あなたが逃げずにちゃんとした相撲を取り続ければ、あなたはそのうち横綱になっているという寸法。

人生を乗り切る地力がつくのね。

やらんと弱っちいままよ。

 

多くの人は自分の人生は自分が創り出しているということを忘れちゃってます。

そして自分で創り出した状況の中でもがき苦しんで、どうしたらいいですか?と聞いてこられます。

前にも書きましたが、あなたは人生の創作の原因となるのであって結果となるのではありません。

もちろん創作の結果は自分に返ってくるわけですが、結果(被害者)となるのではなく、結果(感情)を一瞬味わうだけです。

ここで利き酒会の話がでてきますねん。

利き酒をする時は通常飲み込みません。

ちょっと味わって横のバケツに吐いて出すだけだけです。

そして水で口を漱ぎ、次のお酒を味わうわけです。

これを皆さんはいつまでも前の酒をクチャクチャ口の中で回している。

おまけに純粋にその酒を利いているのではなく、自分の頭で酒の瓶のラベルを見てこの酒はこんな味のはずだと思って味わってしまっています。

好きな銘柄があるわけです。

でもその蔵元も毎年同じ味を出せるわけじゃない。

嫌いな銘柄があるわけです。

その蔵元もたまには自分好みの味になっているかもしれない。

きちんと味わわなきゃ、わかんないわけでしょ。

それなのに、今の現実という体験に自分の頭で考えた色を勝手につけてしまっており、その濁った体験を苦しい、苦しいと言ってるんですよねぇ。

 

人は一人ぼっちだと考えると益々つらくなります。

子供にはたくさん友達作りなさいと言います。

でもね、僕は思うのです。

いつも公園で他の子に混じらず、一人で砂遊びするのが好きな子っているじゃないですか。

それって何か間違っていますか?

僕はその子は神様と遊んでいるんだと思うんですよ。

ということはね、知らない土地に引っ越したり、新しい職場に馴染めなかったり、育児の相談や愚痴を言う相手がいなかったりすることは、それ即ち孤独なのじゃなくて、自分が神様とつながっていないからじゃないでしょうか?

それさえつながっていれば、あとは全く問題ないのじゃないの?

どれだけ売れてる本を読んでも、どんな有名なセラピストにセッション受けても、そこがダメなら何にもならないですよ。

 

もうひとつ大切なことで、すでにどこかに書いているはずのこと。

それは他人に期待しないということです。

出来事とか共時性とかを期待するのは良いのです。

それらは単なる物理的なものですから。

ところが友人がこのようにしてくれるのじゃないか、とか、母親に相談したらこう言って慰めてくれるのじゃないか、などと期待するとあなたはことごとく裏切られる事必定でして、その結果、その人たちを冷たい人だなどと思いこみ、益々孤立化していきます。

 

だいたいね、他人が自分の思うように動いたら人生楽しいですか?

そうすると感情がわきませんよ。

そして、あなたの期待のエネルギーは相手にとっては無理やり腕をとってどこかに連れて行かるようなもので、非常に心地悪いのです。

絶対に他人を自分の思うように操ろうとしないこと、ていうか、そんなこと出来っこないんですけど。

これも自分で勝手に苦しみを創り出しています。

 

夫のDVで悩んでいる、これはなにも暴力を体験したかったわけではありません。

過食嘔吐で悩んでいる、これもその行為を体験したいわけではないのです。

育児ノイローゼになりそう、これも同様。

その状況を自分で創って、あなたはそこで本当は何を体験したいのか?

自分の中にあるどんな感情を知りたいのか?

そしてその体験の向こう側にあるものは何なのか?

こんなもの言わずと知れた愛であります。

どんなことでも、形を変えた愛なのです。

これがわかんないと、人生で迷子になりまっせ。

悩み苦しみに上手く対処しようとする前に、やるべきことはあらゆる形の愛を体験し、愛のすべてを知ることでおます。

2012.2.6 

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