昨日ようやく再読していた「聖なる予言」を読み終わりました。

もう読むの5回目くらいです。

僕は本を読むのは速い方だと思うのですが、今回は時間がかかった。

一つももらすまいと思って読んだからでしょうか。

その中で書かれていることでシャングリラ・ミーティングの際に符合することがあったので少し書いてみます。

 

皆が自身のスピリチュアル・ジャーニーを語っている時、ほとんどの人がスラスラと良い格好することもなく真実を語られました。

初対面の人の前でかなり話しづらいはずのことまで語られた方も何人かいらっしゃいました。

これはひとえにその場のエネルギーによります。

机や椅子の配置も良かったのでしょうが、皆が話している人に注目し、無意識のうちに優しい受容のエネルギーを送っていたのです。

お子さんを除いて13人がある一人にそのようなエネルギーを送ると、話している人は安心して真実を語ることができます。(3歳の彼女も僕たちにはわからないけど、そうしていたかもしれませんよ)

 

これを普段の人間関係に応用してみたらどうでしょう?

今回は同好の士が集まったので当然やりやすいわけですが、仮にそうでなくても、こちらが意見の合わない相手に批判の目を向けながら話を聞くのではなく、その人が自分の真実に気づき、それを語るようなエネルギーを送ってみたら?

その際に注意するべきは、決してこちらの思うように誘導する類のエネルギーを送らないこと。

あくまでも相手が自分の真実を語ることが大切なのです。

これが新しい時代の人間関係のあり方(というふうに20年くらい前に「聖なる予言」に書かれている)です。

 

一次会で自分の正面に座った人は自分の鏡なんですよ、と言いました。

これはそのまま二次会ででも適用されたかもしれません。

じゃあ三次会は?と言われても、そこまでくるとわかりません。

しかし、あのような会の特質上、一次会においては絶対にそうであるのです。

鏡というのは自分を写すのですが、どのような写し方をしているかは微妙でして、まあわかりづらいことも多いのです。

それでは左右の人はどうでしょうか?

これは昨日わかったことなんですが、実は自分の右側に座っている人は自分の女性性、左側に座っている人は男性性において共通項があるということらしいです。

自分にとって右側の人は自分の女性性の共通項があるわけですが、右側の人にとって自分は男性性の共通項があるということで、じゃあ両性ともに共通しているということか?となるわけです。

これはおそらく視点の違いです。

あくまでも自分から見れば右側の人は女性性の共通項があるのであり、右側の人から見れば・・・ということです。

僕の正面は山崎さんでした。

右側は李さんで左側は柴田さん。

山崎さんの鏡性については今のところわかりませんが、両サイドはわかりやすくって、李さんのお名前は妙子で僕の母親と同じ、柴田さんは修で字が違うけど僕と同じ。

もちろん名前は端的に示しているだけで、なにか深い中身もあるんでしょう。

ということで、参加者の皆さん、そういう目で一次会、二次会と正面の人や両サイドの人の事を思い出してみたら面白いかもですよ。

 

ところで、日曜日の同窓会の新年会で「天皇陛下手術へ」の号外をもらってた先生がいました。

検査入院の結果、バイパス手術が必要だとなったわけです。

たかがそれくらいで号外など出すでしょうか?

これは国民に心の準備を促すものなのかもしれません。

僕はその日は6月~8月だとみていますが、まあこんな予想は外れて構わないんですけどね。

とにかく明日、あるいは1時間後には日本に何が起きるかわからない(自然災害のことではありません)、どうぞ揺るぎなく生きて頂きますように。

2012.2.14