ここ数日は、いかに診療の質を上げるかということに気持ちがいってるのでブログ書いてる暇がありません。

ネタもそうありません。

事ここに至って毎日伝えるべきメッセージがある方がおかしいよね。

僕は今、過去の後悔をする時間が以前に比べると極端に短くなっています。

明日のこともほとんど考えません。

ただ何か楽しみなことがある時は、その楽しさだけは心の中にあります。

要するに今!今!今!です。

仕事をしている人であれば、昼間の今というのは仕事に集中するということ。

どれだけより良い仕事をするかということに他なりません。

 

山口県光市の母子殺人事件が結審しました。

死刑が確定した年齢では異例の若さだそうです。

また被害者感情が判決に反映されたのも画期的です。

で、もう皆さん僕がこれから言いたい事は何となくわかって頂けるでしょうが、問題の本質がずれてしまっているのですね。

もちろん、愛する妻と子を何の理由もなく殺されたら、それはたまったものではありません。

果てしない喪失感と怒りがわいてくるでしょう。

そんな中、本村さんは少なくともマスコミの前では冷静に対応されました。

裏ではいろいろとバッシングがあった事は想像に難くありません。

ある意味において、非常に立派であったと思います。

 

しかしこういった犯罪を無くすのは、それに対する刑罰の重さでないことはもはや明白です。

加害者の少年は、父親から虐待を受け母親は自殺していたことがわかっています。

ものを見る視点の問題なのです。

本当にスポットを当てるべきは虐待をしてしまった父親、自殺を余儀なくされた母親であり、少年の行動はそれらの結果に過ぎません。

とするならば問題はその少年は言うにおよばず、その両親にあるのでもなく、我々の社会にこそあるに決まっているのです。

 

僕が当院に来られる子供連れの親を見ていて痛感するのは、一見愛情をかけているように見えるんだけれど、実態は違う人が非常に多いことです。

おそらくほとんどの人は気づかないでしょう。

お母さんを見ていたら本当にごく普通の優しい人なのです。

でも子供の口の中や、子供自身をよく観察すると、お母さんが癒されていない結果が子供に出ているとしか思えないことが多いのです。

極端な言い方をすれば、どこかに分類するとすれば、それだって虐待やネグレクトだよって言いたくなること少なくなかりし。

だから、事件まで至らなくても、それと同類の芽は実は皆さんの日常に隠れているのだと言いたい。

そこに気づかなければ、これからもこういった事件は無くならないどころか増えていくんじゃない?

 

遥か神代の時代であっても、いくらかの割合でどうしようもない子供(反社会的な行動をとるという意味)が生まれてくることは避けられませんでした。

なぜこういうことが起こるのかというと、それはそういう子供にどのように対応するのかで社会の成熟度を試されるという意味合いがあるからです。

であるならば我々の現社会はずいぶんと未熟ですなぁ。

 

昨日、うちに個人セッションを受けに来られた女性がいました。

ディクシャをする段になってわかったのですが、その女性は実は女神様でした。

カッパが女神様にヒーリングやディクシャをするという、とんでもない図です(笑)

女神がそんなの受ける必要があるのかって、あなた、そりゃ本人の純粋さと社会の捻じれ加減から通常苦しみますからね。

「あなた女神でっせ」と言ったら、相手の女性は大笑いしてましたけど。

天使だって同じことです。

去年は天使の若い女性がセッションを受けに来られました。

天使などは患者さんの中に山ほどいらっしゃいます。

ただ、本人がそうと気づいているのといないのとでは大違い。

気づいていると他人を助ける方にまわります。

気づいていないと助けられる側にまわります。

宇宙人も何人か見て知っています。

親戚のオバちゃんに菩薩様がいます。

でも女神に会ったのは初めて。

なんかイイことあるかもね・・・・って自分のことかいっ!(笑)

2012.2.22