すべては体験のためにあるのですが、じゃあ体験するってどういうことでしょうか?

体験とは出来事に伴う感情を味わうことです。

感情がわかなければ、そんな出来事いくらあったって、だからなに?ってことでしょ。

で、ここがポイントなんですが、感情って何?ってことです。

感情とは心の動き?変化?

心って何?どこにあるの?

さあ、わからなくなってきましたよ。

心がどこにあるかは、これまた非常に難しい問題でして、僕もスッとは答えられません。

だから無理に書きません。

しかし感情が何かはわかります。

 

あらゆる生命は各々独自の形態を有していますが、そこには大まかに言って2つのエネルギーラインがあります。

ひとつは純粋に物理的な反応に関与するライン。

もうひとつがいわゆる感情とか心とか呼ばれるものの変化に関与するライン。

前者は例えばなにかのはずみで石が身体にぶつかった後に身体に起こる変化に関係します。

後者はその石を誰かが自分にぶつけた後に心に起こる変化に関係します。

ここでは感情を説明するのに感情や心という言葉を使っているという矛盾がありますが、今は黙って聞いてください。

そもそもこの宇宙のビッグバンの以前にあったもの、そして現在も本当はそれしかないもの、それは意識です。

意識とは何か?とは聞かないでください。

それを意識と呼ぶのだと思ってください。

インチキくさいのですが、実際問題これを定義するのは究極に難しいのです。

同様に思考も感情も意識を構成する大きな二つの要素であり、それらは独立したものであるが、行為という第三の要素の存在下においては溶け合うことができる。

そしてこれら三つはお互いに影響し合うようになる。

今のところは、この程度でおまけしておいてください。

 

話を戻して、人間の場合において例えば元々怒りなど持ち合わせていない人に無理やり多量の酒を飲ませ続けたとしますと、物理的に機能不全を起こしますから肝臓は怒りというエネルギーを浄化できなくなり、身体にいつまでも怒りが溜まって他人にぶちまけてしまう、というふうになります。

逆もまたしかりで、二つのエネルギーラインは密接に絡み合って影響し合っています。

人間のような肉体を持たない純粋なエネルギー体においてもこのエネルギーラインは存在し、肝臓とか心臓とかは無いにしても、基本的に同様の変化を起こします。

で、僕たち人間は、ある感情が沸いた時、身体に何らかの変化を感じます。

 

目の前の人にいきなり「死ね!」と言われたとしてみてください。

な~んにも考えずにいた時に、ムカムカか、シクシクか何なのかはわかりませんが、注意していると身体のどこかに何らかの感覚の変化があることがわかります。

「死ね!」という言葉を耳で聞いて頭で理解して、それからそれに対して身体が反応すると思われるでしょうが、そうではありません。

その言葉の持つエネルギー(いわゆる言霊ですね)をまず感情面のエネルギーラインがキャッチして、それを物理的エネルギーラインに伝える際に、エネルギーの変換が行われ、独特のイヤ~な感じが身体のどこかに(この場合はハートあたりかな)起こるというわけです。

そしてこの感情を肉体に感じるというのは人間(地球だけじゃないよ)独特のものなので、人間は下等なようでいて上位にある存在たちもそれはそれでチビッと羨ましかったりするのであります。

 

多くの人はこれまでもしつこく述べてきたとおり、感情を自分の頭で勝手に作り出してしまっています。

どうして見ず知らずの奴に石を投げられないといけないんだ!

という一見さも当然のような考えが、石を投げられた時に身体に起こる変化を感じるという純粋な体験から遠ざけ、その考えが作りだした感情を味わうようになります。

この場合、何が最悪かと言いますと、頭の中の考えは次から次へと巡っていくので、その感情が一瞬で去らない、言い換えればひとつひとつの体験が完了していかないことなのです。

皆さんは生まれた時からの体験をすべて終わらせずに今に引きずっています。

こういうのは難しい言い回しをすれば、細胞の脱分極が続いているということで、もうそれ以上どんな刺激を与えても何も反応しなくなるんですね。

今を感じれない人、ものごとに感動しにくい人というのはそうなのかもしれません。

 

とにかく身体に意識を向けてください。

感情はそこにあります。

だから身体は大切にしなきゃって・・・・他人のこと言えませんが。

 

感情を分析するというのがあります。

ある特定の出来事に対して、どうしても怒りがわいてくるとかいう場合に、過去を辿っていくと必ず同様の出来事に対して同じような反応をしてしまっていたことに気づき、それを更に辿っていくと最終的には幼少期のある体験が元になっていたりするものです。

それがわかると、少なくとも今後同様の出来事に出会った時に、以前と同じような反応(行動じゃなく反射的に反応しているということ)はしなくなります。

僕もインドでやりましたが、これも良し悪しでして、確かにメリットもあるんですが、これやりすぎるとやはり純粋に体験する、感情を味わうということがおざなりになってしまいます。

 

昨日、大阪のM先生のところへ行った後、その近くの喫茶店でお話会がありました。

いつもの如く、終わって楽しかったかどうかが問題なのであります。

スピリチュアルの話なんてね、真面目にやったらそりゃ宗教だって(笑)

2012.3.9