いわかん
”いよかん” じゃありません。
”いわかん”です。
先日の大阪でのお話会の最後に「これから先生はどちらに向かわれるのですか?」と聞かれました。
「ああ、まだ僕個人の事を聞きたかったりするんやなぁ」
違和感とはこのことです。
皆さんの元にある日、クリスタルとかダイヤモンドとかが届いても、誰もそれを届けた宅急便の人を素晴らしいと思わないわけです。
僕は単にシャングリラの叡智を皆さんの元に届けているだけで、僕個人は全くもって普通の人(?)です。
その質問をくださった主催の徳田さんは賢い方で全部わかった上でお聞きになっていますから、こちらとしても当たり前には答えられません。
で、「僕これから梅田の第三ビルの竹生庵に・・・・・」
「いや、そうやのうて・・・」
となるわけです。
と、ここまで書いてきて、実際問題僕が自分自身について思っていることを書くと、なんか勘違い野郎みたいに思われるのイヤやなぁ、というのがあるのですが、誤解を恐れずに書きますと次のようになります。
最近は地球の波動上昇はこっから先も感じません。
ところが、自分自身の意識の上昇は非常にスピードアップしていると感じます。
妻を見ていても彼女のそれも同様に感じます。
宅配便の人間ではあるのですが、門前の小僧なんとやらで、僕がある程度先頭に立っている必要はあるのでしょう。
最近のブログ内容と、たまたまその時に再読している聖なる予言シリーズでのシンクロした内容。
それをみるにつけ、益々シャンバラ(シャングリラ)と自分との密接な関係を確信せざるを得ません。
第十一の予言の最後に書かれている「・・・・真のシャンバラの平和の戦士となるだろう」というのを読んで、今までに何回となく目にしているのに、涙があふれてきました。
その本の中で”祈りの場の拡張”という言葉が頻繁に登場します。
僕について言わしてもらうなら、今の僕の祈りの場は非常にパワーアップしています。
自分でも驚くほどです。
これこそ本当に勘違いしていると思われるかもしれませんが、今も遠隔ディクシャのご依頼を引き受けてはいるものの、もう皆さんが僕という存在に意識をフォーカスするだけで、瞑想がただの瞑想じゃなくなる気がします。
ご自身で勝手に都合のよい時に遠隔ディクシャを(例えその時僕が何をしていようとも)受けられる気がするのです。
もちろん、僕がクライアントに意識を当てて遠隔するのはそれはそれで違うものでしょうが。
そして、これだけ酒を飲み倒しておきながらこういうこと言うのも何なんですが、僕の物理的な肉体が確実にミューテーション(変態)している気がします。
全部”気がします”なのですが、気がするのです。
どのように変態しているかというと、より光に近づいていっているということです。
え?
今日のメッセージが違和感あるって?
ズビバせんねぇ。
こんばんは!
宮内いよかん(いよかんのほとんどがこの品種)発祥地に住むKANAKOです。(いらん情報ですが。。)
ずっと先生の記事を拝見していて、先生のおっしゃるディクシャって、どんなものなんだろうと興味を持っていましたが、
私も練習すれば、先生の祈りの場を感じることができるということでしょうか?
できたらすごい!
スピリチュアリティを意識して生きていると、時折、神の息吹のようなものを感じる時があります。
その時に、そうなのだと確信するかどうかなのです。
僕の祈りの場というのは、その方がイメージしやすいからそう言っているだけで、別に不特定でも構わないのです。
確信して(信じて)、期待して、委ねて、感じてみればきっとわかるはず。