サイドメニューにおいて神とはすべてのものの集合意識だと定義しました。

これ、間違ってはいないのですが、厳密に言うと原因を説明するのに結果を用いているというおかしさがあります。

僕たち生命のすべての意識を集めたのが神ではなく、神の意識から僕たちすべての生命が生まれたわけです。

となると「神とは何か?」という問いに対してどう答えたらよいのでしょう?

 

ここでよく言われる「在りて在るもの」というのがでてきます。

あらゆる次元、あらゆる時間、あらゆる空間において、ただそれしか存在しないもの、それが神という「そんなの定義じゃないじゃん!」チックなことになっちゃうんですね。

困ったもんだ。

 

今までは神という言葉に否定的なイメージを持つ人のために、それが嫌なら宇宙という言葉に置き換えてくださいと言ってきましたが、これは正確ではありません。

神は神としか言い表せないのです。

そういう意味として別の語を当ててもよいかと言われると、これが違ってやはりカ・ミである必要があるようです。

神という言葉にドン引きする人は、これまでの宗教やそれから派生する胡散臭いもの全般のせいでそう感じるわけで、仕方がないと言えば仕方がない。

しかしこれからは堂々と自信を持って神という言葉を使わないといけない時代です。

でないと、自分自身の否定になるし、存在すべての全否定になるから。

そのかわり、くどい位言っていますが旧来の宗教は崩壊し統合していきます。

 

昨日の夕方に家族が広島から帰ってくることになっていたので、朝は駅前のカフェにモーニングセットを食べに行きました。

皆さん、パニーニて知ってます?

まあ、ありていに言えばイタリア風ホットサンドでして、そこのパニーニはハムとチーズを挟んで、イカ焼き器みたいなんで両面焼いてるわけです。

この店はふつうのサンドイッチの場合、希望すれば焼いてホットサンドにしてくれます。

僕は初めて妻とここでパニーニのセットを頼んだ時に、「ホットで!」と言ってしまいました。

すかさず妻は「パニーニは元々焼いてあるの」と教えてくれたのです。

 

僕、もの知ってるようで全然知らんことも多いです。

しばらく僕と付き合うと皆自然とそのことに気づきだします。

「西塔はアホなのかカシコ(関西弁で賢いこと)なのか、ようわからん」とよく言われます。

他によく言われることに「ハゲが似合う」というのがあります↓

似合うてどうすんねんっ!

まあでも、ハゲてんのにハゲが似合わんかったら、そりゃちとつらいなぁ・・・・。

 

話は変わります、ていうか、変えます。

僕にすれば面白いのに中々読むのが進まなかった先日ご紹介した山川紘矢氏の「死ぬのが怖いあなたに」

これを昨日、パニーニ食べながら読んでたわけです。

ちなみに昨日の”本日のコーヒー”はマンデリンでした。

その本の中でなにげに心を打たれた文章があります。

 

~~~ありのままの自分を認めてあげると、とても楽な気持ちになり、急にいろいろなことがうまく回り出します。

完璧を目指さなくていい。あなたはすでに完璧だからです。虫に葉っぱを食われた薔薇の花をこれはこれで完璧だと思えたとき、世界が変わりました。世界は今のままで完璧だと気がつきました。どんな自分もいまのままで完璧です。

ぼくたちは、みんな精いっぱいやっているのです。もう十分です。出来る範囲でいきましょう。~~~

 

この部分を繰り返し読んだ後、なんとなく本のタイトルのことについて考えてみました。

昨日書きましたように、パッと見て読者の興味を引かないといけない。

だから本のタイトルというのは著者がつける場合もそりゃあるでしょうが、多くは編集者が考えるのです。

 

そういえば、シャスタの治美さんも言ってましたが、彼女の著書である「”アセンションの秘策” シャスタの地下都市テロスからの超伝言」も、本人が知らない間についていて、後からタイトル見て「え~っ!?」と思ったそうです。

もちろんもう刷り上っていますから、変更効きません。

その時にふと、読んでいた紘矢さんの本のページをくって、最後のあとがきを見てみました。

なぜかよくわかりませんが、ふいにそうしたいと思ったのです。

するとね、そこの最初に何と書かれていたと思います?

 

「『死ぬのが怖いあなたに』という題名の本になるなんて、僕はびっくりしています。

1冊の本は多くの人の共同作業で生まれるものです。

こうした題名がふと眼に留まり、この本を読んでくださる方がいれば、それはそれでいいかな。

自分の意見はなるべく押し付けないようにし、出版社の有能な編集者が題名を考えてくだされば、それでいいと思って、この本が生まれました。」

 

・・・・・・・です。

 

シンクロの事を言いたいわけじゃありません。

僕が考えていたことに対して、ふと読んでいる本のページの間を飛ばしてあとがきを読んでみようと思った。

するとまさにそのことが書かれている。

思わず神の存在を感じるわけです。

 

でもね、これって神様が僕に「おい、あとがき読んでみ」と気づかせてくれたのでしょうか?

もちろん、そうともとれます。

しかし自分の中の何かがそう仕向けたようにも感じられます。

すると・・・・・どういうことになるでしょう?

 

自分と自分の外側にいる神様?

 

自分と自分の内側にいる神様?

 

ていうか、そういう内と外という分けることが違う気がせえへん?

 

すべてつながっている。

そこにあるものすべて。

ここにあるものもすべて。

それが神。

あれも、これも。

僕も君も。

すべてが神。

 

神とつながる。

 

ほら、話もうまくつながった。

2012.4.4