僕自身は、他人に頭下げるの大嫌いなので「ごめんなさい、許して下さい」なんて死んでも言うたるか!てな感じで生きておりますが、それでもホ・オポノポノは面白いよなぁとは思うのです。

昨日ご紹介した服部みれいさんの本の巻末でヒュー・レンと対談しているのを読んで、ハタと気がついたのであります。

これ、ちょっとスゴイです。

自分でも感動しました。

 

ヒュー・レン博士の”セルフアイデンティティ ホ・オポノポノ”とは、起こっていることはすべて自分の内側の記憶の現れであり、好ましく思わないのであればその内側の記憶をクリーニング(消去)していけば良いというものです。

自分の内側の記憶というのは即ち、宇宙の記憶であり、言ってみれば僕の記憶もあなたの記憶もたった一つの記憶なのだということです。

記憶・・・・・これこそがキーワードです。

 

またしてもタカラの人生ゲームを持ちだします。

それぞれが赤い駒、青い駒、黄色い駒でゲームをします。

さて一度ゲームが終わりました。

そのゲームの途中経過(誰がどこのマスに止まって何をしたか)や結果はすべて記録されています。

赤い駒でゲームを終えたあなたは、次は全く同じゲーム内容を、今度は黄色の駒で体験してみたいと考えました。

ゲーム内容自体は同じなのに、プレイヤー(視点)を変えることによって、そのゲームはあなたにとって全く新鮮なもののように思えます。

そして以前に赤い駒で同じゲームをしたことを、仮に”あなたが覚えていたとしたら”、あなたはより深い経験(多くの視点で同じものをみるということ)をすることになります。

 

ところが、ここで問題が生じます。

なぜなら、以前の記憶があなたにあれば経験は深くなるように思われますが、実は以前の記憶そのものがあなたの今回のゲームの体験(そこで起こる感情)を邪魔してしまいます。

あなたは赤い駒の気持ちをすでに全部知っているわけですから、相手の気持ちがわかっている状態で、黄色の駒のプレイヤーとしてゲームをすることになる。

つまりあなたの視点に、かつての視点が影響を及ぼすわけです。

これ絶対ダメなのね。

だからこそ、以前そのゲームをした記憶は消さないといけない。

 

でも、ゲームの記録自体は残っているのです。

あなたの頭から記憶を消している(ブロックしていると言った方が正しいかも)

 

さあ、今、あなたの友人があなたにとって好ましくない行動をとったとしましょう。

あれだけ仲が良かったのに、他の人に自分の陰口を言っている。

妙によそよそしくなって、話をしてもすごく突っかかってくる感じ。

思い当たることがあると言えばあるし、ないと言えばない。

彼女の態度はわたしの内側の反映、と言われてもピンとこないけれど、とりあえずはホ・オポノポノでもやってみようかしら。

「ごめんなさい。許して下さい。愛しています。ありがとう」

自分の内側の記憶、それはすなわちずっと貯えられてきた人類の記憶。

それをクリーニングして消すってどういうことかしら?

 

もうおわかりですよね。

そういうことなのです。

つまり、あなたにつらい態度をとるあなたの友達は、かつてはあなただったのかもしれない。

あるいは、あなたはかつて友達からあなたの悪口を聞かされていた知人だったのかもしれない。

もちろん他の人だったのかもしれません。

とにかく、あなたはそこの場(狭い意味でのその友人関係)にいたか、あるいは大きな意味でのそこの場(とある友人との関係がもつれているということが起こっている時の地球上の他の土地)にいたかのどちらかなのです。

ちょっとややこしいかしら?

 

これを過去世や、生まれ変わりということで説明することも可能です。

前世では友達を傷つける側だったから、今度は傷つく側の体験をしてみたい。

ってやつ。

ところがね、実は今回の説明は同じようで同じでないの。

 

人生ゲームというのは、あらゆる出来事がすでに起こったこととして盤面に印刷されています。

あとは、誰の駒がどこに止まるか?だけの話。

誰も止まらなかったマスに書かれていることなど、どのプレイヤーも見ませんから、その出来事は起こっているのだけど、皆が認識しないので起こっていないのと同じことです。

夜に営業する流行っている焼き鳥屋さん。

昼間にその前を通っても、暖簾も引っ込めて看板も何も電気がついていないので、その店自体がないのと同じ、みたいなもんです。

 

たった今ゲームが完了した盤面が一枚空中に浮いています。

その盤面にはそこで行われたことがすべて記憶されています。

そして宙に浮いているその盤面の上下には、違う内容のゲーム(プレイヤーの駒の止まり方が違うあらゆるパターン)をした盤面がその記憶とともにずっら~と並んでおります。

そしてその前後には、全く同じゲームを違う駒で体験したバージョンの盤面が、これまた記憶とともにずら~っと並んでおります。

駒の色なんて無制限にあるからね。

おおっ!

なんと壮大にややこしいことよ。

本当はもっと複雑に立体的なんだけど、このへんにしておきましょう。

 

これらが総じてパラレルワールドと呼ばれるものであります。

パラレルワールドの存在を否定する人もいるけれど、それを認識できるかどうかは、その人の意識の次元によります。

僕は何度か体験しているので確信を持って言うのです。

体験していないことは、ここでは書いておりません。

 

話をホ・オポノポノに戻しましょう。

要するに自分の外側で起こっているように見えることも、単に今回の視点が自分という位置にあるというだけであり、他の視点から今の出来事を見ていた時もあるのだ、ということです。

出来事は単に出来事。

そして自分はそこに関わるあらゆる人だったことがある。

 

こう考えると四つの言葉とは

ごめんなさい・・・・そのことに気づかずに、あなたに対して怒りを向けてしまったことに対してごめんなさい

許して下さい・・・・・わたしはあなただったこともあって、あなたがわたしの立場だったこともあったのに、かつてわたしがしたこと、そして今のわたしが怒りを持ったこと、それらのすべてを許して下さい

愛しています・・・・・そんなあなたを、そんなわたしを、愛しています

ありがとう・・・・結局すべては、わたしだったのね。この世界のあらゆるものに感謝!

 

記憶(記録)のクリーニングとは、人生ゲームの盤面に記録されている駒の動きや、細かいやり取りを消去するのではなく、その駒は単に出来事を体験するための視点にすぎないのに、それを自分自身だと勘違いしていることを消去しようというものではないでしょうか。

するとすべてがニュートラルになります。

ニュートラルというのは我が消えて、真我と一体になっている状態のことです。

不思議なことに、あなたがニュートラルになると、他の駒もそれに近くなるようです。

だって、全部の駒は本当はあなただからね。

すると、事態はよりワンネスに近い方向に動くということなんでしょう。

 

僕はずいぶん前にブログで書きましたが、最後にその人生ゲームをタンスの上にしまおうとした時に、箱の裏側にこそっと書かれている文を目にします。

「実は、このゲームをしていたのは、たった一人のプレイヤーなのだ」

 

人は死ぬと、まず自分の人生回顧をホログラムのように見せられます。

そして人生のあるワンシーンで、その場にいた全員の感情・気持ちを味わうことになります。

これって、そういうことなのよ。

 

今日のお話が、皆さんが今、悩んでおられる出来事や人間関係の改善に少しでもお役に立てばうれしいです。

僕自身は、自分の母親に対して、ちょこっと優しい気持ちになりました。

 

ここまで書いてきて、ハタと気づくのです。

ヒュー・レン博士のやってるのは、セルフアイデンティティ(self-identity) ホ・オポノポノ。

自己同一性と訳されますが、要するに”自分は何者か?”ということです。

深いね、これ。

2012.7.31