昨日のタイトルは「再生~Re-Birth」でした。

これは本来歯科の再生医療の世界ではRegenerationといいます。

ではなぜRe-Birthなのか?

最後までお読み頂ければわかります。

永遠のゼロ.jpg

百田尚樹さんの「永遠のゼロ」、読み終わりました。

これは本当に今まで読んだすべての本の中で三指に入ります、いろんな意味で。

話しの大筋は次のようなものです。

 

主人公の姉弟はある時自分たちの実の祖父が特攻隊員として戦死したことを知ります。

実の祖父がいたというのは最近知ったことで、彼らは幼いころから自分たちを可愛がってくれた祖父のことしか知りません。

なぜわかったかというと彼らの母親がそのことを洩らし、母親も実の父のことを全く知らないので調べてみてくれないかと子供たちに頼んだところから物語は始まります。

 

実の祖父、宮部久蔵を知る現在も健在の人たちを訪ね歩くうちに、彼らは実に不思議な思いにとらわれます。

それは、宮部は非常に優秀なゼロ戦のパイロットであったにもかかわらず、反面非常に臆病で戦死することを良しとせず、必ず妻と子供(生まれたばかりの娘、つまり調査している姉弟の母親)の元に帰ることを第一としていたからです。

宮部はそこまで先日亡くなった祖母(宮部の妻)のことを愛していたのだろうか、彼は徴兵ではなく 志願兵でしたから、そもそも何故軍隊に志願したのか、またあれだけ生きて家族の元に帰ることを大切にしていたのに、どうして特攻に志願したのか、等々謎だらけです。

しかし調査が進むにつれ宮部の実像が浮き彫りになってきて、祖父が優秀なパイロットであるばかりでなく、たくさんの部下の命をも大切に考えていたこと、戦況が悪化し上からの無茶な特攻作戦が連日強行されるにつれ、若い命が失われるのを目のあたりにし、自らがどんどん精神的に追い詰められていったこと、元部下や祖父を知るものの話しの端々で彼らは涙を抑えることができなくなります。

そして・・・

最後に驚愕の事実が明らかになります。

ただし、宮部が特攻に志願した(もしかしたら命令かもしれないが)理由は最後まで明らかになることはありません。

作者はちゃんとブラックボックスを残しているのです。

 

今では皆、普通に愛という言葉を語ります。

しかし古来日本では男女間の感情は”恋(こひ)”、親子間などのそれ以外のものは”愛情”と呼び、愛という概念がでてきたのはごく最近のことではないかと思うのです。

しかし、この本の全編を通してその根底に流れているのは明らかに”愛”です。

あの太平洋戦争の時代に日本にも愛という概念があったということに、違和感を覚えるとともに何か安堵するものがありました。

 

終戦の数日前に敢行された特攻作戦。

もうその頃はゼロ戦たりとも米海軍の敵ではありませんでした。

そもそも目的とする艦隊まで到着するまでに米迎撃機にほとんどが撃墜されるのです。

それをすり抜けても強烈な艦砲射撃の嵐にさらされます。

操縦士は今やそのほとんどが大学出で、空中戦の訓練ではなく特攻が前提の急降下の訓練しか受けていない若者たちでした。

そんな中、宮部少尉は敵航空母艦の全乗組員を恐怖に凍りつかせます。

機体から火を吹きながら甲板に向けて垂直に降下していったその後は・・・

 

彼は米軍から本物のエースとして畏敬の念をもって接されました。

 

映画「男たちの大和」の中で、長島一茂扮する上級士官の台詞にこういうものがあります。

黒板には”死にかた用意”と書かれています。

「破れて目覚める。我々は新しい日本の先駆けとなって散るのだ」

 

特攻で亡くなった多くの兵士は、果たして死ぬ時に天皇陛下の顔を思い浮かべたでしょうか?

どう考えたって残してきた家族や愛しいあの娘の顔でしょう。

その家族や恋人を守ることがすなわち、お国のためだったと考えるのが妥当なような気がします。

でも、そもそも膨大な数の戦死者をすべてひと塊りにしてその気持ちを推し量るというのが、どだい無理なのかもしれません。

また特攻に行く時の心の内を言葉で表そうとすること自体が無理なのかもしれません。

しかし、結果的にそれら数多くの犠牲の上に今の日本があるわけです。

我々はRe-Birthしたのでしょうか?

それともまだこれから再生しなければならないのでしょうか?

 

明日から新学期です。また子供たちの歓声が街にあふれることでしょう。

2010.8.31