昨日のブログで書いた「ある出来事を体験した時に、そこに居合わせた別の人の視点からもその出来事を再体験してみる」という話を少し説明しておきましょう。

真実とは何か~所変われば品変わる」でも書いていますように、他人はある出来事を見る時にあなたと同じ視点にはなり得ません。

ただ仮に同じ視点に立ったとしても、それまでの二人の経験が違うのでやはり同じようには見えません。

つまり世界中の誰一人その出来事をあなたと同じように見る(体験する)人など存在しないということになります。

ここで非常に重要でありながら見過ごされがちなことは、同じものを見る時のそれまでの二人の経験が違うという点であります。

視点が違うというのは日本と中国では違うというようにある意味、非常にわかりやすい話でありましょう。

ところが経験が違うといことを本当に理解している人は非常に少ないのです。

 

今、あなたとお母さんとの間の心のわだかまりを例に取ってみましょう。

お互いに10年前のある出来事に対する相手の態度をいまだに不快に思っています。

そこであなたは、「なぜお母さんはあの時あんな風な言い方をするのかしら?私の気持なんかちっともお構いなし!」との思いが心によぎる度に腹がたってしようがありません。

ところが、ある時思うところがあって、ちょっとあの時の母親の立場に立ってみたらどうかしらと考えました。

実際にその出来事を母親側の視点で再体験してみたのです。

さあ、いざそれをやってみて、あなたは重大な事実に気がつきます。

実はその時の母親の視点を作っているのは、母親が生まれてから体験してきたすべての出来事やそれにまつわるトラウマだったりするのだ、ということがふと頭に浮かびました。

その気づきがどこからやって来たのかはわかりませんが、それがわかった瞬間、あなたは号泣します。

お母さんがあの時わたしにあのような言動をとったのは、なにもお母さんが悪いわけじゃない、お母さんも自分でどうすることもできない何かに突き動かされてそうするしかなかったんだ、ということがストンと腑に落ちてきました。

そして同じように人生を振り返って、自分が心のどこかで引っかかっている出来事を全部そのように再体験してみました。

「な~んだ、そういうことか」とわかったあなたは体中の力が抜け、いまだかつて味わったことがないような心の軽さを感じます。

そして・・・自然にすべてのことが許せるようになりました。

許そうとして許したんじゃありません。

自然とそうなったのです。

 

いかがですか?

人の立場に立つ、他人の気持ちをわかる、ということはこういうことを言うのです。

一般的に言われているようなことは、あくまでもその出来事が起こった瞬間だけを切り取ったもので、これでは本当に相手のことを理解することはできないことはもうお解りでしょう。

もう少しつっこんで考えてみると、じゃあ他人が生まれてから経験してきたこと、その時のその人が味わった感情を理解しない限りその人の気持ちが正確にはわからないのであれば、本当のことを言って人の気持ちなんて絶対わかりっこない気がします。

相手にとってもこちらの気持ちはわからないのです。

でも、やはり家族に関してだけは少し違うかなぁ・・・。

更によく考えてみると、であるならば我々は自分と違う考え方、ものの見方を受け入れざるを得ない。

みんな違ってていいようにこの世界は作られているんだ、というONENESSのごく当たり前のコンセプトに帰ってくるのであります。

2010.10.2