視点と体験
これまでにこのホームページ上にはたくさんのメッセージを書いてきました。
その中でも「家族のしあわせ」と「生まれてきてくれてありがとう~わたしを目覚めさせてくれたもの~」の二つは秀逸です。
もうこれだけでもいいと言っていいくらいです。
なぜかというと、人が悩み苦しむ原因は人間関係に他ならず、その人間関係の根幹をなしているのが両親との関係以外にあり得ないからです。
今となってみれば、これ以外のメッセージはもうどうだっていいや、みたいな感じを受けます。
それくらい、家族が幸せであることが大切なのですね。
固定記事としてサイドメニューに書くべきことは、ほとんど書いちゃいました。
あとは、「歯科医へのメッセージ」というのがあり、これは歯医者に限らず一般の方にも読んで頂きたいのですが、訳あって延び延びになっています。
また「パワースポットの秘密」という話もあります。
でもこのHPの目的は”あなたの心に幸せの種をまく”ことであり、ピラミッドが本当はどうして作られたかとか、どんな役割を果たしていたのかなどということは、話としては面白いけれど全く関係ないと言えば関係ないのですね。
皆が自分を見つめるのに最初に挙げた二つの記事ほど素晴らしいものはないと、これは心底そう思います。
で、本題なのですが、時々「ブログを見て涙が出ます」との感想を頂くことがあり、書いてる方とすれば喉元をくすぐられるような嬉しさがあるわけですが、さて例えばそのドラマを見ていた時は泣かなかったのに、それについて書かれた僕のブログで涙が出るというのはどういったわけでしょう?
だいたいうちのヨメにしてからがそうです。
3日前の紳助の番組を見ている時に彼女は「なんか、いかにもって感じで私は見ない」と言っておきながら、昨日急になに泣いてんのかなと思って見てみると携帯で僕のブログ読んでるんです。
「ゲゲゲの女房」の最終回や茂の父、修平が逝くシーンについて他の方が書かれたブログをたまたま見たんですが、みな非常に感想が薄っぺらい。
それはブログ執筆者の背景にある体験が浅いから感想に奥行きが出ないのであります。
偉そうに聞こえたらゴメンナサイなんですが、僕の方が多くの体験をしているというわけではありません。
ただ出来事の体験の仕方は深いかもしれない、と言っているのです。
ここ数年、ある出来事に対してそれの背景にある霊的な部分も一緒に体験するようにななりました。
そしてセミナーなどで生まれてから今までの多くの出来事をそのような霊的視点から何度も再体験しているので 、当然今、目の前で起こっていることを見る目が違います。
より深く、より多角的に見るようになります。
多角的に見るというのは、自分からだけの視点で物事を見ずに、その場にいる他の人にはそれがどう映るかということも勘案するということです。
これについては明日詳しく説明しますが、4年前インドでの21日間コースで初めてこれをやった時には涙が止まりませんでした。
そうすると、同じことを体験しても5年前の僕とは違う体験の仕方になります。
これが霊的成長というものであります。
ですから、そのような視点からドラマや番組を見た時にきっと感動の仕方も違うだろうし、それを伝える文章も(文章力とかは無視して)異なるだろうと思います。
他のブログ執筆者もそのようになれば、その人独自の味わい深い文章が出てくるはずなんです。
ちなみに皆さんが読まれて泣くような記事を書いている時は、当然それを体験している時に僕自身が泣いていますし、そもそもその記事書いてる最中にだってパソコンの前で泣いていることが少なくないのです。
そうするとですね、文章そのものもやさしくなるし、行間に流れる空気も全然違ってきます。
これこそが、人を感動させる力となるんでしょう。
写真は皇室御用達といわれる前原の傘。
ホネが16本あり、取っ手のところは竹を焼いて曲げてあります。
それなりの値段がしますが、酔っ払っては持ってた傘を忘れてくるということを繰り返していた頃、いっそのこと絶対忘れないような良いものを持とうと考え買ったのが前原の傘で、これは2代目になります。
前の傘は忘れたんじゃないですよ、少し破れてきたんで買い直したのです。
まあ、今でも飲みに行く時と大雨の時はさしませんけどね。
この16本傘で小雨の中を歩いていると、雨が傘をうつ音がすごくきれいで、その音に耳を澄ませながら「雨も悪くないよなぁ」と思うのです。
2010.10.1