もう皆さんお気づきでしょうが、このホームページの中でのメッセージは時としてキツイ言い回しをしていることがあります。

そうかと思えば思わず涙ぐむ文章だってあります。

また、なるほどと感心するようなものもあるでしょう。

著書の方では普遍的でありながらもわかりやすくするために、工夫が凝らされています。

具体的な例をあげて説明している所もありますが、あくまで一般的な具体例という形で書かれています。

また特定の人を中傷するような書き方はされていません。

少なくとも僕がまったくの無名であり、最初にスピリチュアルメッセージを世に送り出す形とすればこれが最善であろうと思われます。

 

お寺の高僧のお話は確かに有難くはあるんですが、どうしたって説法臭いというか具体性に欠けます。

お釈迦様の話として聞いても、なるほどとは思いますがこちらの心の奥底までは響いてきません。

たまさかこちらの心をすべてお見通しと感じることもありますが、なぜか先生と生徒みたいな感覚がぬぐえないのです。

瀬戸内寂聴さんの話が他と違うのは彼女が出家するまでに、たくさん傷つけ傷つく体験をしているからです。

お寺の息子に生まれ、多少の社会経験はあるものの、学校で経典や教祖の教えを学んで今は住職として人の相談に乗りながら自分も成長していってる、というお坊さんは山といますが、はたしてどうなのでしょう?

外国のセラピスト等が書いたスピリチュアル本は、往々にしてクライアントの体験談が多かったり、あるいはシャーリー・マクレーンのアウト オン ア リムのように非常に個人的な体験が多すぎたりして、僕にはどれも超いまいち。特にシャーリー・マクレーンの本の場合は彼女が有名人だからこそ成り立つ話です。

電車の中で横にいる女性にパンプスの踵で踏みつけられて、メチャクチャ痛いのに本人は謝ろうともしないその態度に腹が立って仕方がない自分が嫌でしょうがない。

なんと心の狭い人間なんだろうと。

母親と何とかうまくやっていきたいと思うのに、心のわだかまりを抱えたまま面と向かうと、つい怒ったように喋ってしまう自分が嫌でしょうがない。

そのことを今、何とかしたいと思っているのに、それらの講話や本は役に立つでしょうか?

 

要するに、人の心に響くためにはたとえ自分と違う体験でもその核心が同じ、そういう話を体験した本人の話として聞く必要があります。

そこには、悩み苦しみ、心の痛み、すべてが実際に体験したこととして込められているからです。

そして、話は具体的でありながら人に聞かせるためにはそこに眠る普遍性を語らねばなりません。

具体的でありながら普遍的な真理が含まれており、そこにはその人の心がのっている、そうでなければ人の心に染み透るようにはならんのです。

その場合、自分が同じように苦しんでいたのだから話は時として優しく、しかしそこから抜けるためには自分自身をシビアに見つめなければならないので、話は時として厳しくならざるを得ません。

ただ正直に申し上げますが、このホームページに関しては僕のメッセンジャーとしてのエゴが少なからず入っています。

「ここまで言うてんのに、なんでわからへんねん!」というのが山盛り入っています。

そのような文章にふれられた時に、不快になられることもあると思います。

これに関しては完全に僕の不徳のいたすところであります。

でもどうしようもないので、諦めてください(笑)。

明日から、「インドへの道」を2.3回に分けてお送りする予定です。

子供たちに「パパ、ママ、好きだよ」と書かれた小冊子をもらった僕はその後どうなったのでしょうか?

お楽しみに。

2010.10.3