インドへの道 前編~初めてのディクシャ~
さて、こんな僕でも子供たちは愛してくれているんだと気づいてから我が家は徐々に変化していきました。
しばらくして五日市剛さんの「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を知り合いから送ってもらい、感銘を受けた僕は受付で患者さんにも販売しようと考え発行元に50冊注文したのですが、その当時の発行元というのが(現在は違います)”いやしの村”だったのです。
50冊の本と一緒に入っていたのは”いやしの村だより”という月報でした。
最初の僕のイメージは「なんか、ここ宗教みたいで怪しいなあ」。
でも内容を読んでると微妙に興味が惹かれるところがありました。
実は僕は大学院時代に縁あって座禅を組んだ経験が何度かあるのです。
その座禅は仁王禅といい警策で肩が内出血するまで叩かれるという激しいものでした。
今考えると、とんだお笑いなんですが(そんなことで悟れるわけがない)まあ多少ともそういう経験があったので、いやしの村だよりに書かれている悟りという言葉に妙に反応してしまいました。
すると3日後にケビンこと中西研二さんのお話会&ヒーリング会というのが広島で開かれると書いてあります。
ちょうどその時嫁は子供たちを連れて広島の実家に里帰りしていたので、電話でその旨話すと参加してみるとの返事です。
奈良に帰って来た彼女が持ってたものがケビンの「悟りってなあに?」という本。
ん?なんか面白そうだし、この人本物かも。
ということで、joyヒーリングの会の大阪会場担当者に連絡して、まずはヒーラー養成セミナーから受講しました。
その時の講師はケビンが大変に信頼を置く岩手の平さんです。
その後5月のゴールデンウィークに子供たちも連れて全員で大阪会場主催のディクシャ会に参加し、そこで初めてディクシャなるものを体験したのです。
その頃は真面目にディクシャの前後3日ずつくらい肉、魚、酒をやめてました。
その後ディクシャを何度も受けるうちに、それらをやめる期間が長くなり面倒くさいのでいっそのこと玄米菜食にしようということで、一家全員マクロビオティックな生活になりました。
嫁さんはある日子供たちにこう言いました、「明日からご飯の色が黒くなるから」
それ以来、給食ででるものは仕方がないとして、うちで子供たちが肉を食べるのは誰かの誕生日か、お正月のおせち料理くらいのものでそれも鳥の骨付き肉に限ります。
それで初めてのディクシャ体験はどうだったかというと、少し頭がガンガンした位で何か覚醒が始まったという感覚は全くありませんでした。
子供たちは二人のディクシャギバーの女性の方たちと輪になって手をつなぐ形でエネルギーを受けるようにしたのですが、むしろ子供たちの方がすぐに変化が現れたといえるでしょう。
長女はそれ以来、胎内記憶や生まれる前の記憶を次々と話し出しました。
僕はずっと以前から信じるとか信じないとかいうフィルターをかけずに物事を見るようになっていたので、長女の話も普通に「ふ~ん」と聞いていましたが、その内容があまりに具体的かつ確信に満ちているので我が子ながら少し怖い感じがしたものです。
次女は初めてのディクシャの当日だったか翌日かに突然「6番目のチャクラが開いた」と言い出しました。
6番目のチャクラとはアグニャヤチャクラとかアジナセンターとか呼ばれるいわゆる第三の目のことです。
「はあ?」と思いました。
たった一回のディクシャで小学一年生の女の子の第三の目が開いたら、僕たち何のために苦労してるのかわかんなくなっちゃうんですけど・・・。
この次女の”ふうさん”のことはいずれ別にお話しますが、だいぶと変わっています。
さてその後、ケビンのディクシャセミナーを受けたり、精神世界の本を少しずつ読んでいくうちにだんだんインドの21日間の覚醒のコースに向けて知らず知らず近づいていっている自分がいるのでした。
そして、7月位から不思議な現象が起き始めます。
つづく
2010.10.4