ディクシャ批判(前編)

今日の話題はディクシャとアンマ・バガヴァンについてです。興味のない人には全く関係ない話でごめんなさい。

ただ最近バガヴァンとディクシャについて痛烈に批判している2ちゃんねるの記事をたまたま見たもので、ちょっと僕とバガヴァンとの間のスタンスについて書いておこうかと思った次第であります。

 

アンマとバガヴァンというのは、南インドにいる神の化身と言われている人で、この二人は夫婦でありアンマが宇宙の女性性をバガヴァンが男性性を表しています。

ワンネスムーヴメントの創始者であり、僕が21日間の覚醒コースを受けたワンネスユニバーシティの責任者でもあります。

ディクシャと呼ばれる人々を覚醒させるエネルギーはすべてバガヴァンを通して流れると言われています。

 

世の中どんなことにも批判はつきものなのでして、批判を批判するつもりも毛頭ないのですが、その根拠になる事実とされるものを外部に求めるのは非常に危険だと申し上げておきましょう。

今、バガヴァンは強烈なメディア攻撃を受けており様々なゴシップが流されています。

これらはいわゆるワンワールドを提唱する白人の工作によってなされているのですが、これは僕が人から聞いた話であるものの、自分の中でのフィルターを通して、まあ言うなればハイヤーセルフに真実であると教えてもらっているものです。

ところが情報をそのまま情報として受け取ると間違った解釈をすることになります。

そしてここには強力なマインドの介入があるわけです。

 

今日の話は、馴染まない人には分かりづらいかもしれませんが少しこのまま続けていきます。

 

僕は別にバガヴァンを擁護するつもりは全くないのですが、もし、批判をしている人たちがディクシャによって仮に覚醒していき幸せな状態になったとしたら、果たして批判を続けるでしょうか?

するわけないですよね。

要するにディクシャにより何にも変わらなかったという人たちが批判を繰り広げているわけです。

それで、ここでもう一度ディクシャの効果が出る人出ない人について考えてみましょう。

ディクシャって何?」でも述べましたが、過度な肉食、喫煙、飲酒、運動不足などひとくくりで言えば何かに依存している状態の人は非常にエネルギーの通りが悪いと言われています。

ですから僕が仮に酒を全く飲まなかったとしたら、そんなもんね、ちょっとスゴイですよ。

ディクシャ受けた30分後に居酒屋に行っているようではダメです (笑)

 

また、感謝の気持ちがない人もダメだと言われます。

感謝がない時、脳は単なる細胞の数が多いだけの劣った器官になり、ディクシャは脳に直接働きかけるので、その効果が出ないという説明です。

これはディクシャを受けて効果がないという人を観察していると、確かにそうかなと納得することも少なくありません。

でも僕が引っかかるのは、感謝が出来ないのはそれ本人が悪いの?その人だってつらいんじゃない?ということですね。

こんなこと言われたら誰だって「悪かったわね、放っておいてよ」と返したくなりませんか?

 

ああ、今日も長く重くなりそう。奥さんごめんなさい。

 

インドでのセミナー中、たくさんの人が色んな神秘体験をするわけですが(本当のディクシャの目的は神秘体験に非ず)体験が全くない人は焦るし嫉妬するしで、講師に相談するわけです。

すると講師は決まってこう答えます「体験がないのも体験です」・・・「はあ?」

こう言われてわかりますか?

わかったような、わからないような答えですよね。

わかりやすく説明すると次のようなことです。

どのような体験をその人に与えるかはその人本人の高次な部分(ハイヤーセルフ)が決めています。

バガヴァンが決めているのではありませんが、ハイヤーセルフもバガヴァンもひとつのものなので、そう言ってもまあいいわけです。

じゃあなぜ覚醒を強く望んでいる自分自身にハイヤーセルフは体験を与えないのでしょうか?

わざわざ一カ月近く仕事を休んで、100万近くもお金を払って、インドくんだりまで来てですよ。

それはね、体験を得られないことでその人にわき上がる感情がありますよね。

実はそれこそがその人を何十年も強く縛っていたもので、そのことを見せつけてくれているわけです。

「そのことを見つめ、癒してあげて、そこから自分を解放しないといけないよ」ということを教えてくれているのです。

じゃあ、それこそ何よりの体験じゃん、ということでございます。

 

体験が無かったと言って文句を言ったり落ち込んだりする人が次にとる行動、それこそが今まで人生の中で何回も何回も繰り返してきていた、事に対して逃げるか戦うかして自分は悪くないんだ、相手が間違っているんだという自己防衛に他なりません。

ディクシャによる無体験はそれを教えてくれているのに、多くの人は気づきません。

その人がアホなんじゃないんです。

本にも書いていますが、その人はまだエゴのゲームをやり終えていないから次には行けないようになっているだけなんですね。

ということで、後編につづく。

2010.10.20

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