インド紀行の途中ですが、また書かないとすぐ忘れちゃうメッセージが来たのでお伝えしておきます。

大体こういったものがくるということは、ここ2日位の間にこのメッセージを読まないといけない人がどこかにいて、その人のために書いているんだということがわかっていますので、とっとと書くのでございます。

 

よく行く「かえる庵」の奥さんに「先生、物書きになったらいいのに」と言われます。

実際、このブログをご覧の方の中にも同じようなことを考えられている方がいらっしゃるかもしれません。

医者、歯医者の中にも小説を書いては投稿してる人も少なくないのですが、僕がそこに興味を示さないのは次の理由によります。

めんどくさい。

小説というのはストーリーが面白ければ売れるかというと全く違います。

ストーリーを際立たせるのが、周囲の景色だったり、歴史的な背景だったり、そういった何気なく書かれている細部の描写がぐっと話を臨場感あふれるものにしていくわけです。

そうでなければ、それこそ中学の文化祭の劇みたいになってしまうのです。

つまり綿密な取材というのが必須なので、そんな時間も根気もない僕には今のところ全くもってやる気がしないというわけです。

皆さんが訪れたこともないワンネスユニバーシティにおける僕の紀行文をそれなりに面白く読めるとしたら、僕自身の細かい心理描写と単純すぎて描写のしようのない風景と、それと一緒にコースを受けている仲間たちの姿が描かれているからであります。

 

話変わって、僕はJOYヒーリングのインストラクターでありヒーラーですが、ケビンのヒーリングにはとてもとてもかなわないと思います。

これは他のヒーラーさんも同じ感覚でしょう。

もちろんヒーリングというのは誰がやってもやれるから普及していくわけですし、僕なんかがやっても癌が一晩で消えるというようなことが起こったりもするのです。

でも本当に奇跡のヒーラーと呼べるのはケビンしかいない、これは厳然たる事実であります。

ケビンはその昔、誰もが知っている文壇の重鎮の人々とも交流があり、新聞社に勤めたこともあるくらいですから文章を書くのはお手のものです。

話もうまいし、頭も切れるし、字も上手。

3冊ある著書もどれも非常にわかりやすく書かれています。

しかし、僕も書くことに関してはそれなりのものです。

別に優劣を競っているわけではないですよ。

しかしながら、少なくともケビンの今までの3冊の著書の中に、「シャングリラからの伝言」を見ることはできません。

何が言いたいのかというと、皆それぞれの役割分担があるということです。

ケビンはディクシャとヒーリングを通して人々を覚醒させていく。

僕は文章を通してメッセージを伝え人々を覚醒させていく。

どちらも同じことを違うやり方でやっているに過ぎません。

だから僕がケビンのようなヒーリングが出来ないといって嘆くことはナンセンスなんですね。

 

別に特別なことでなくっていい。

歌を歌うのでもいいし、俳句を作るのでもかまいません。

子育てだっていいんだし、それこそただ台所で野菜を刻んでいるのだって素敵なことなんです。

ユーミンじゃないけれど、すべてのことはあなたからのメッセージなんですね。

 

バガヴァンの教えというのは確かに真理をついているのですが、だからといって皆がその言葉をそのまま伝えたって仕方がないだろうと思うのです。

それね、間違ってますよ。

その教えをあなたの体験を通して人に発信しないといけません。

僕は常々今の女性は深く傷ついているから守ってあげないといけないと言っていますが、でも僕には女性の気持ちはわかりません。

そんな時、自身が乳がんで乳房を半分とっている、子宮の問題で子宮をとっている、夫に暴力を振るわれて離婚した、などの体験がある女性がカウンセラーになったらどうでしょう?

明らかに相談者の気持ちがわかるわけですよ。

だから、メッセンジャーというのはたくさんいていいのです。

皆、自分に合った媒体(メッセンジャー)を探せばいいだけですから。

僕の本や、このブログもつまらないという人だっていていいのです。

その人にふさわしい媒体は必ずどこかにいるはずですし、きっと出会うことでしょう。

だから、あなたにはあなたにしか出来ない何かがきっとあるはずなのですね。

どうか、他の人に気を取られないで、自分の持っている何かに気づいてくださいね。

 

そう、この話はおそらくあなたに向けて僕を使って先ほど発信されたのですよ。

2010.11.5