今、猛烈に悲しいこと。

それは姫路市立動物園の北極熊の赤ちゃんが二頭亡くなったことです。

一昨日、テレビで生まれたことを知ったばかりなのに。

母乳を飲まずに衰弱死らしいです。

生まれてくれてありがとう。

・・・・合掌

 

気を取り直して、何年か前にこれも初期の「シャングリラからの伝言」で「ストレスの正体」ということを書いた時に、それを知り合いの女性にメールで送ったところ次のような返信がありました。

 

「今、メールを読ませて頂き涙がポロポロと止まりません。そういえば長い間泣いてなかった気がします。ピンと張った糸が緩んだ感じです。でも泣いても何も気持ちの解決にはならず、また糸をはりつめた日常が続くのを知っている自分がいて、それも泣けてきます。(中略)生きていくのは難しいですね。すみません」

 

この女性は、ご主人も優しくいい人で、傍から見ていて何の問題もなさそうなのですが、実は不安で一杯な中で生きているそうです。

このメールを受けて僕が彼女に送ったメッセージを紹介します。

 

~A子さんへのメールから~

A子さん、人は幸せになるためや何かを学ぶために生まれてきたわけではありません。

もちろん幸せになるにこしたことはないし、何かを学ぶという言い方もできなくはないけれど、あまり的確な表現ではありません。

人はただ、あらゆることを体験したいために生まれてきました。

「人を許すとはどんな感じだろう?」

「裏切られるとはどんな感じだろう?」

「人を愛するとは?」

「愛に飢えるとは?」

等々です。

魂の次元では物事に対する善悪も損得もありません。

ただすべてのことを体験として知りたいのです。

A子さんであれば、Aという名の通りのことを体験するために生まれてきました。

 

あなたの名前の意味するものはすなわち至高のものです。

光の世界です。

あなたが生まれる前にいた世界です。

でも至高の中にいたのでは、周りがすべてそうであるので知識としてはわかるけれども、至高を体験しながら至高を体験できないというジレンマに陥ります。

だって、この世界がすべて白だったら白がわからないでしょ。

だからA子さんの場合、表面上は真っ暗闇で光明を探す旅になります。

これは当然あがきますよね。

言いかえれば泥水の中でダイヤを探しているようなものです。

でもどこにダイヤがあるのかわからない。

そもそもダイヤが本当にあるのかどうかもわからないから不安になる。

このままでいいのだろうか?と。

 

A子さん、人生をよりよく生きるコツがあるとすれば、それは目の前の障害から逃げないこと、そして立ち向かわないことです。

逃げても必ず追いかけてきます。

立ち向かう、すなわち相手と戦うと相手はより強力になります。

毒を喰らわば皿まで。

その泥水を一度お腹一杯になるまで飲んでごらんなさい。

はたして、空になった池からダイヤが見つかるのか?

 

実はね、ダイヤなんて最初からないのです。

さらに言うと泥水もありません。

それらがあると勝手に思っていたのはA子さん、あなた自身なのです。

そしてその泥水を飲むという体験こそがあなたが生まれてきた目的なのです。

そしてその時、つまり自分が生まれてきた目的に沿った道に今いるのだと確信する時こそ、あなたが幸せを発見するのです。

経済的に恵まれているから、愛する家族に囲まれているから、だから幸せということではありません。

条件がつくようなものは幸せとは言わないのです。

 

今の状況をどうにかしよう、何とか自分を変えよう、などと思っても無駄。

そんなの絶対変わりませんから。

なぜなら、あなたが泥水を飲む勇気を出して、その先にあるもの、すなわち名前の示すところの至高、光明を見ないことには、その泥水は益々濁ってよどんでいくように生まれる前に設定したのは他でもないあなたなのですから。

泥水を飲む、つまり今の状況を存分に味わいつくしてください。

そうすれば必ず道は開けます。

 

映画「インディ・ジョーンズ」の第三作目の最後の方の場面を覚えていますか?

数々のメッセージの謎解きをして、あと少しで聖杯が手に入るという時にインディの前は断崖絶壁。

聖杯は向こう側に渡らなければいけないけれど、渡るところがない。

最後のメッセージは「勇敢なものだけに神は微笑む」といったものでした。

あなただったらどうしますか?

崖っぷちに立っていて、一歩踏み出せば奈落の底なのです。

映画では後ろに敵が銃を構えていたのでやるしかなかったのですが、インディが勇気を出して空中に一歩踏み出したところ、何もなかったところにサーッと向こう側まで続く橋が現れたのです。

まさに人生においても同じことが言えるのですよ。

 

ところで経済的にも愛情面でも、あらゆることが非の打ちどころがない人生、あなたは過去に一度だけ送っていますよ。

でもね、そんな人生一度やれば十分だし、退屈でむなしくなります。

だから魂はみな二度とそういう人生は選択しないのです。

でも僕は出来れば、今からそういう何不自由ない人生に転換してくれたらなと、正直思っちゃいますけどね(笑)

 

これ、携帯のメールでうってたんだから、ヒマというか何というか・・・

でもね、僕がメッセージを書いていていつも我ながらすごいと思うのは、こと「シャングリラからの伝言」に関しては何年前に書かれたものでも全く色あせないし、あとから訂正するようなことも一つもないということです。

よりわかりやすいように今は書けるということはあります。

でも、その時書いたことは逆に言うと核心をついていたんだけれど、僕の理解度が足らなかった、ということが多々あるのです。

書いてるのは、ただ頭に降りてきたことをほとんど無意識にパソコンのキーを叩いているわけです。

ある程度、理解しているつもりで書いていますが、1,2年たってから、「ああ、そういうことか。深いなあ」と思うことしばしば。

「僕は単なるメッセンジャーです」 というのは謙遜でも何でもないというお話。

2010.12.8