Farewell to 2010 & Let’s Begin!
ホームページを立ち上げて約一年、このカッパのサンポを書きだして半年、お蔭さまで歯医者のホームページとしては少なくないアクセスを頂いています。
しかしメッセージブログとしてはまだまだですね。
頑張らねば、と思います。
新年号の「いやしの村だより」にケビンが書いていたことで、僕が今、最も言いたいことがあります。
それは、「もういい加減、他人のせいにするのはやめて自分の内深く入っていったらどうですか?」ということです。
多くの人が物事を、いや他人を良い悪いで判断しています。
「今、自分が幸せでないのは、親のせいだ、政治が悪いからだ、学校がいけないんだ」
いつまでそんな眠たいこと言ってるんですか?
もっと最悪なのは「全部自分のせいだ。わたしが悪いんだ」というもの。
どうせ西塔先生には私の気持ちはわからないって?
あちこちに書いていますが、他人の本当の気持ちなんてわかりっこありません。
そんなことに期待していったいどうしようというのです?
あなたに優しい言葉をかけて、包み込むような温かさを与えてくれるヒーラーは他にいっぱいいます。
残念ながら僕は少しタイプが違います。
でもこれもひとつの愛のかたちだと思っています。
皆さんの気持ちを傷つけるつもりは皆目ありませんが、だからといって表面を繕うのは性に合いません。
この世界に首をつっこんでから、今までに様々な悩める人を見てきました。
そしてそのうちの少なくない人たちが、「苦しい、苦しい」と言いながら、今の人生の泥沼というぬるま湯から一向に抜け出そうとしないのを嫌というほど見てきました。
まるでアルプスの少女ハイジのクララみたいなものです。
勇気を出して車いすから離れれば、今すぐにでも歩けるのにそうしようとしない。
なぜなら、車いすにいると皆が可哀想がってくれて心地がいいからです。
そして、何より自分で自分を可哀想がるのがやめられなくなっています。
僕は何もそういって苦しんでいる人たちを、だからダメなんだと断罪するつもりはありません。
ただ観察した事実を述べているだけです。
これやっている限りは、現状は変わらないし、むしろ他人はそこから離れていくでしょう。
自分の内面深く入るというのはね、つらくて怖いけれど自分がそうしてきたということを認めるということです。
自分の心の中のヘドロを見つめるということです。
実に多くの人が、こうなりたいという理想は立派に掲げるんだけれど、今自分がどこにいるかを明確にわかっていません。
今の居場所がわからないのに、行き先を決めたって行きようがないのです。
だから厳しいようだし、情け容赦ないように聞こえるかもしれないけれど、今あえてそのことをお伝えしているのです。
これをやるのはその人自身なのであって、僕や誰か他のヒーラーではありません。
その覚悟を決められた時にお手伝いするのが我々ヒーラーの役目なのです。
「そんなことはわかってるけど、やれない」とおっしゃるのなら、僕たちはそれ以上手が出せません。
お手伝いのしようがないのです。
でも傷ついた自分から立ち上がった人は、その後自分が苦しんでいる人を助ける側にまわります。
世界中にあまたいるヒーラーやメッセンジャーと言われる人たちは、例外なく大きな心の傷から立ち直った人たちです。
あなたもその可能性が高いのですが、今世界中に天使が数えきれないくらい舞い降りています。
ところが、その目的遂行のためには人間の過去世をまとわなくてはならないため、多くの天使がそこから受けるトラウマから立ち直れずにいます。
自分が天使だということを忘れてしまっています。
だから僕、時々きついことを書くのですよ。
平手かまして目を覚ましてもらわなくちゃ皆が困るから。
これもケビンが書いていたことですが、これからは「自分がどうありたいか」を明確にしましょうということです。
これは行き先の話ですね。
もちろん自分の現状がわかっても行き先が決まってなければ、人生そのものが無意味になりますから、これも大切なことなのです。
ではその行き先までの交通手段は?
そこで思考が登場するのです。
これにおいてはマインドと言っても差支えないでしょう。
そしてそのマインドがいわゆる人間を縛るものとしてではなく、純粋な思考として作用させるのに役立つのがディクシャという補助手段であるということです。
別にディクシャでなくったっていいんですよ。
ただ僕が知っている中ではこれが最もよく効くというだけの話です。
先日の医院の忘年会の帰り、近鉄特急にスタッフと乗っていたのですが、ある男性の乗客二人が些細なことでトラブルになっていました。
まあどちらかといえば、片方の明らかにお酒を飲み過ぎている人の方が分が悪いのですが、そんなことがなぜ今さら僕の前で起こるのだろうと思うわけです。
そのトラブルはそのことを認知した乗客全員の問題ですし、僕も含めた乗客の心の中に争いがあるからそのトラブルを呼び寄せたとも言えなくはありません。
ただ僕のその時の視点は少し違っていて、今、片方の分が悪いと言いましたが、その出来事を見る時に僕たちは、どちらが良い悪いというのを判断しているだろ?ということを問われているのだと思いました。
お酒に酔って大人げない態度をとっている人を見て、そちらが悪いんだと見ることは可能ですし、実際あの時見ていた他の乗客のほとんどはそう考えたことでしょう。
その酔った人の立場になれば、他人に偉そうに注意されたらムカッとするのも当然・・・そんな陳腐なことを言いたいんじゃありません。
大切なことは、出来事を判断しないこと、ただしその時に胸にわき起こる感情を否定せずに、その感情とともにいること。
そして自分はその場面でどういう自分でありたいのかを明確する。
そこまでできたら、あとはその手段を考えればいいのです。
まあこれが出来る人は通常暴力的な、あるいは否定的な行動はとりませんがね。
そういうことをする人は今説明した3つのステップのどれかが欠落しているのです。
またしてもケビンの書いたこととかぶるのですが、僕は来年のテーマは横とつながることだと書きましたが、ケビンは人間関係の再構築の年だとしています。
どちらにせよ同じことを言ってるわけです。
どうも、多くのメッセンジャーが同じことを言ってるみたいです。
そのためのおまじないをコッソリお教えしましょう。
ていうか、これ最初にインド行く前に聞いた五日市剛さんの講演での話なんですけどね。
人間関係を何とかしたいという時のとっておきの方法は、自分が苦手だと思っている人、あるいは嫌いと思っている人の前で、その人の目を見て、その人が絶対に喜びそうなことを言うんですって。
え?そんなことできるかって?
気持ちはわかるけど、まあ、そう言わずに。
Let’s Begin!
とにかく何かを始めよう。
これは、ドラマ「飛び出せ 青春」の中で主演の村野武範扮する新任教師が黒板に最初に書いた言葉ですが、来年こそは今の場所から一歩踏み出してみましょうよ。
以前、神様からのメッセージとして書いたことですが、僕たちは物事の結果となってはいけません。
原因とならないとダメなんです。
とかく何か楽しいことないかなあ?いいことないかなあ?と思いがちですが、そうじゃなくて、他人を楽しませる、他人を喜ばせる、あなたがそれをするのです。
その結果はあなたを含めてあちこちに広がっていきますが、結果なんか気にせずにもっともっと他人を喜ばせるのです。
そしたらどうなるかというと、きっといい世の中になってますよ。
このホームページは今年6月にロサンゼルスやシャスタに行った関係で、海を越えて読んでくださっている方が僅かですがいらっしゃいます。
ありがたい、と心から思います。
できるだけ純粋なメッセージ(僕の考えが入っていないもの)と僕の意見や想いとは明確に区別できるように書いているつもりですが、もしまぎらわしい表現をしているところがあればすみません。
また厳しい表現が必要とはいえ、どなたかの心を傷つけたとしたなら、それに対しても大変申し訳なく思います。
書いている事柄に関してはできるだけ正確を期すようにしていますが、至らない所があればすべての責任は著者である僕に帰結します。
今年最後のブログが長くなりましたが、どうも一年間ありがとうございました。
もし、このホームページがお気に召したらどうぞ、お知り合いにご紹介ください。
なんだかんだ言って、まだまだ地球は安心できる状態ではありません。
何度も言うようですが、そのためには一人一人が心の平安と幸せを取り戻す必要があるのです。
外界で起こっていることはどうでもよろしい。
フリーメーソンもイルミナティも闇の勢力も、爬虫類型人類もすべて宇宙の陰陽の片割れです。
一つの愛の側面です。
だからどうぞ物事を判断する目で見ないで、あなたは愛であってください。
天使であることを思い出してください。
母なる地球のために。
では皆さんどうぞ良いお年をお迎えください。
当ホームページは新年は1日から営業する予定です。
ではまた来年お会いしましょう。
・・・明日やがな、それって(笑)
2010.12.31