僕が、”世間で言うように「人間は栄養的に過不足ないようにしなければ健康を害する」というのは間違いだ”と気づいたのは、20年以上前、まだ阪大の歯学部付属病院に勤務していた時のことです。

医局を出て診療棟へ向かう途中の廊下で、いや、今でも鮮明に覚えているのですが医局の扉を開けて2,3歩歩きだしたところでふと頭にそういうことが浮かんだのです。

人は必要なものは外部から取り入れなくても、体内で今あるものから合成できるはずだ、と思ったのです。

必須アミノ酸とか絶対に体内では合成できず外から栄養として取り入れないとダメだと言われているビタミン群も、それがもし本当に必要なものなら必ず自分で作ることが出来るはず。

人間の肉体はそんなに不完全に作られてはいない。

それは確信に近いものでした。

医局は歯学部の3階にあり、4階には生理学や生化学の教授がいる中でそんなことを思ったのです。

別にその事ばかり考えていたわけじゃないのに、急にインスピレーションがわいてきて、ちょうど本の原稿を書いているときのようなものでした。

その頃はまだ精神世界のことなんかこれっぽっちも興味がなかったので、プラーナとかいうことは知りません。

実は栄養の正体はプラーナなんだとわかったのはごく最近のことです。

 

ここでひとつ大きな問題にぶち当たります。

ではなぜアメリカ大陸を発見したコロンブスは途中で船の乗組員が脚気に苦しんだのか?

ビタミンB1欠乏症といわれ、途中寄港した南の島で果物を食べてようやく治まったとされます。

理由はいくつか考えられるのですが、まずひとつには乗員に食糧不足に対する恐怖感があり、その思考が現実化したということ。

不食というのはあくまでも精神的にも肉体的にも穏やかな生活をしている場合に可能なのであって、激しい肉体労働をするような状態ではかなり厳しいということ(もちろん、当時不食という概念は存在しなかったと思いますが)

最後に、船に乗るまで食べて栄養を取るということをしていたのに、急にそれが断たれるような状態になると体がすぐには馴染まないということ。

これは江戸時代に玄米から白米に変わっていった時に脚気が増えた理由とも一致します。

玄米は完全食といわれていて、それだけで必要な栄養分をすべて摂っていたのに、急に精米された米を食べだしたらそりゃ体壊します。

明日はもう少し不食の話をしましょう。

結構興味持ってる方がいらっしゃるので。

 

ちなみに今気がついたんですが、今年に入ってから元旦以外はすべて日付が去年になっていましたので修正いたしました。

2011.1.11