不食の実践

今から3年くらい前でしょうか、ある朝、朝食を食べていると

「あ、そうだ!食事というのは生かされているということを確認するためにするものなんだ」

「それがわかったなら敢えて食べる必要もないんだ」

と頭の中にわいてきました。

すると急に食欲が無くなるというか、何が何でも食事の時間に食べなければならないという概念からスッと離れてしまいました。

それからしばらくは、朝は食事抜きでお茶だけ(皇帝茶という野草茶です)。

昼はまだ診療所が移転前だったので、妻の作ったお弁当を持っていくのですが、徐々に弁当箱を小さくしてもらい、そのうち小学生の女の子が持つくらいの弁当箱になりました。

それからまた量が減り、おにぎり2個が1個に、そのうちその1個のおにぎりも手毬寿司くらいの大きさになっていきました(おかずはありません)。

夜はさすがにお腹が減って、それなりに食べアルコールも飲むのですが、不食という概念は知っていたので「ああ、こういうふうにして食べなくなっていくのね」と思ったのです。

不食のことは山田鷹夫さんの「人は食べなくても生きられる」(三五館)とジャスムヒーンの「リヴィング・オン・ライト」(ナチュラルスピリット)で読んで知っていました。

昨日書きましたように大学勤務時代に思い浮んだ「必要な栄養素を摂らないといけないということはない」というのは”他の栄養素から必要なものは必ず何らかの形で補えるはずだ”ということであり、食べなくても大丈夫ということではありません。

ただ、栄養学で言われているようなことは必ずしも正しくないよなあ、と思っていたというだけです。

それがそういった不食の本を読み、ケビンからも日本には不食を実践している人は1000人くらいはいて、世界中となるともっとすごい数になると聞かされたり、ベジタリアンならぬフルーティアン(果物しか食べない人のこと)やリキダリアン(食物は食べず、飲み物だけ飲む人のこと)の話、それもそれを話している人の友人がそうだという真実味溢れる話を聞くうちに、何となくそんなものかと考えるようになっていました。

で、僕自身にも食べ物を食べなくても大丈夫という感覚が突如わいてきたのです。

 

もしかしたらこのまま本当の不食になるかもと思っていたら、そうはなりませんでした。

現在の自宅と診療所があるビルの土地の購入と建物の建設資金として銀行から多額の借り入れをしたからです。

このように物質界のことに強く縛られるような状態だと、不食は難しくなります。

歯医者だって結構な肉体労働なのですが、それをただ生業としてやっているのと、借金返済も含めた目的のために働くのとでは大きく変わってくるのですね。

 

ただ僕は以前から必要な体験は一度きりで、そういう霊的な真実があるのだということを見せてもらったら、あとはその体験は二度とやってこないということが多いようです。

不食についてもそう、空中浮遊についてもそう、人が光で出来ているというのもそうであります。

一度それを宇宙の真理として認識したなら、また元へ戻りなさい、そして現実世界を生きなさい、ということみたいです。

 

で、不食を実践したいという人に申し上げますが、無理してやると体壊しますよ。

ていうか、無理してやるもんじゃないんです。

気がついたら、あ、何となく食べなくても生きてるわ、みたいになるということです。

例えば、悟りを求める時に、悟ろうと努力している限りは永遠に悟りません。

僕も「悟りなんか、もうどうだっていいや」と思いだしたら急にいろんなメッセージが降りてくるようになったわけなんで。

それと同じことです。

一度、求めたら(願い事をしたら)そのことは放っておくことです。

あとはなるべきようになる。

別に食べることが悪いわけじゃないんですから、食べたいと思う限りは食べられたらいいのです。

大切なのは体からのメッセージに耳を傾けること。

傾聴です、傾聴。

我々の一番大切な親友であるところの肉体。

まあ人のこと全然言えませんが、どれだけ自分の身体に無茶を強いてきたか。

自分のエゴや心の弱さがすべて最後にとばっちりとして身体にいくわけです。

大変申し訳ないことです。

 

意識が覚醒していき、身体の各細胞の振動数が上がっていくと自然に光を栄養素として取り入れるようになります。

別に覚醒していなくても、実態はそういうことをしているのですが、意識レベルが上がるとプラーナの取り込みとそれを物質的な栄養素に転換するサイクルが非常に効率よく行われるために、自然と不食に近づいていくわけなんですね。

 

インドの21日間コースの翌年に10日間の上級コースに行きました。

この時は一切下痢しませんでした。

というよりは、食べ物は初日から美味しく頂け、おまけに出てくるウンコはまるで赤ちゃんのそれみたいに黄色で適度な硬さ。

その黄色というのは昔の大衆食堂のやっすもんのカレーみたいな黄色です。

あんなん僕生まれてから自分で見たの初めてでした。

皆さんも、朝ウンコしたらすぐ流さずによく観察しましょう。

そして昨日の自分を反省し、身体にゴメンナサイですかね。

でも最近のやつ、便座から離れたら自動で流れたりするもんなぁ。

そういう場合は設定を変えましょう。

 

誰でもが疑問に思う 「不食の人はウンコするの?」ということですが、します。

ただし、個人差はあるもののすごく量は少ないみたいです。

何も食べていないのに、何が便となって出ているのか?

これには深~い理由があります。

このホームページ全部読んでる人は何となくわかると思うので、めんどくさいから答えは書きません。

お昼の弁当

 

写真は現在の僕のお昼の弁当のご飯部分。

妻が昼に不在の時にはこうして作ってくれます。

ね、米が赤黒いでしょ。

本当に黒いところは塩昆布(笑)。

2011.1.12

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