生きるもののうた

今年になって一番うれしかったこと。

洗濯された(脱水もされてます)携帯のSDカードのメモリーが活きていたこと。

ドコモショップで思わず「やったぁ!」と声をあげてしまいました。

そして新しくスマートフォンを買いましたが、まだ全然使えてません。

携帯鳴ってもうまく出れません。

前の携帯は子供のオモチャと化しました。

 

~生きるもののうた~

いま、道を歩いているサイトウ オサム

ここにあるひとつのいのち

そしてそれが動いている

確かにひとつの存在として認識され、ここにある

 

「治、大丈夫か?」といつも心配してくれる母親

僕を一生の伴侶として選んでくれた妻

「お父さんは?」と言ってくれる子供たち

院長と思ってくれているスタッフ、そして過去にスタッフだった人たち

先生と呼んでくださる患者さん

いつも飲みに誘ってくれる友人たち

 

その中で僕は確かにサイトウ オサムとして存在しており

少なからず価値を持っているのだ

もし僕がいなくなれば

それらの人たちの人生の中において一つの欠片がなくなってしまう

「幸せとは何か?」という小難しい話はひとまずおいといて

これは幸せなことではないだろうか?

 

生きるもののうた

今から10年ほど前

一番上の兄がすい臓がんの診断とともに余命3カ月を言い渡された年

そしてよりによってその宣告通りに逝った年

その話を兄から直接聞いた僕は翌月くらいから

仕事の帰りによくこの歌を口ずさんだものだ

学園前の駅から

塾帰りの小学生の間を縫うように

住んでいた公団の敷地に入ってくると

人目を気にせずにすむのでこの歌を口ずさむ

「なんでやねん!」

と、心の中で叫びながらこの歌を口ずさむと

その歌詞に嗚咽とともに大粒の涙があふれてきた

 

そんなうたです 

奇しくも本日は阪神淡路大震災から16年目の日

2011.1.17 

 

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