まるで新興宗教の教祖が書いた本のようなタイトル(笑)

時々知り合いに教祖になれと勧められますが(笑)

関西弁でギャグを書くこともあれば、昨日のような詩がふいに頭に浮かぶこともある。

頭の中どうなってるんやろ? と、自分でも思います。

 

僕が初めて光に包まれるというか、光というのを意識したのは、インド21日間コースの準備コースとして認定されていたケビンのセミナーを受けた時です。

今はディクシャセミナーといわれていますが、その頃は幸せ体験セミナーと呼ばれていました。

2泊3日で確か琵琶湖畔のホテルで行われたと思うんですが、感情の浄化と生まれ変わりのワークをやるという集中セミナーでした。

その頃のケビンのセミナーは4つに分かれていて

 

step1は感覚の再認識

これは普段いかに我々が既成概念に縛られているかというのを思い知らされた上で、そのせいで休眠状態にある五感をもういちど呼び覚ますというものでした。

これは通常、日帰りで行われていました。

 

step2と3は感情の解放と浄化

いわゆるサムスカーラ・シュッディと言われるものです。

インドのコースでもやりましたが、ケビンはこれを昔から自分のコースに取り入れていました。

そしてこれらは単独で行われることもありましたが、step4の生まれ変わりのワークと一緒に泊まり込みのセミナーで行われることも多いです。

大広間を閉め切って(でないと叫び声がもれるとヤバいから)、全員タオルで目隠しをした状態で仰向けに寝ます。

そして両手には空のペットボトル。

抜群のBGMとケビンの誘導とによって、自分の中に溜め込んできていた感情のヘドロのようなものを見つめていき、それを表現していきます。

ほとんどの場合、寂しさ、悲しさ、怒り、そういったもので、それを泣き叫んだり、怒鳴り散らしたりしながら、ペットボトル同士を叩いたり、それで床を叩いたりするわけです。

 

知らない人が見たら、完全におかしな宗教です。

ところが、これを完全にやり尽くさないと次の生まれ変わりのワークがうまくいかないのです。

いや、というより、如何にここで感情を出しつくすかによって次のワークでの体験が決まる、という言い方の方が正しいでしょう。

溜まっているものを吐き出さないと新しいものは入ってこないという、これはもう人生の鉄則です。

この時、目隠ししていないと、そりゃ照れて無理っすよね。

でも正直、自分で感情を出しながら周りも気にしてはいるんですけど。

 

現在はこのような感じでは行われません。

少なくともケビンのセミナーにおいては、どちらかというと怒りや嫉妬にフォーカスはしていないように思います。

むしろ愛されなかった寂しさに焦点を合わすような、そして実は愛されていたんだということに気づかすような誘導の仕方です。

寂しさと怒りや嫉妬というものは表裏一体です。

そして結局は怒りや嫉妬も寂しさに行きつくんです。

 

ただ、多くの人が怒りを溜め込んでおり、その自覚がないという僕の観察した事実を鑑みるに、怒りの解放と浄化も必要じゃないかと、あくまでも僕の視点からは強く思います。

数年前まではケビンのセミナーでも夕食をとり夜のセッションが終わったら、あとは自分の内面深くに入るために、人とは喋らないように注意されていました。

 

食事は全部菜食なんですが、これがね本来毎食を菜食で作るなんてのに慣れていないはずなのに、レストランのシェフが作るとすごく工夫されていて量も多くてめちゃめちゃ美味しいんですよ。

普段肉をよく食べる人でも満足すること間違いなしというくらい。

 

さあ、いよいよ最終日。

step4 生まれ変わりのワークです。

これについては、また明日。

2011.1.20