人は猿から進化した、ということはありません。

まあ人類の歴史においてそれに似たようなことがあったのは確かなのですが、一般的に思われているような単一的なものではないのです。

猿→猿人→原人→クロマニオンだかネアンデルタールだかの前人類→現代人

僕あまり詳しくないので、上の書き方が正しいかどうかわかりませんが、およそこんな感じだったように思います。

間違えていたらゴメンナサイ。

ただここでは詳細の正確さはどうでもよくて、要はおよそこのようにして人が進化してきたというところを問題にしたいのです。

 

現象化、一見何もないところから物質が生まれてくるということを理解してもらわないと、これからの話は完全なおとぎ話になってしまいます。

わかりやすい例で言えばサイババのビブーティ(指先から出す砂のようなもの)みたいなものですね、僕もなぜか知り合いにもらって持っていますが。

 

地球に知的生命を生みだし、その美しい国でいかに創造の旅を楽しむかを観察しようと考えた創造主は自分と相似形の生命を作ることにしました。

相似形というのは体や形のことではありません。

思考と感情と行為の三位一体が相似形であるということです。

そのために種を蒔きました。

生命の種です。

もちろん人間だけではありませんが、少なくとも人間に関しては始めから知的生命体という期待を背負わされていました。

そして動植物のような進化ではなく、その創造性における進化というものを特質として持たされたのです。

そのような遺伝子を計画的に埋め込まれたということです。

ある意味において地球における人類というのは壮大な実験なのかもしれません。

 

この宇宙は自分が何者かを知るために生まれました。

あらゆることを創造しながら、どのような可能性があるのかを体験しつつ自分を知るということです。

自分がどのようなものであり得るのか?

あらゆることを創造するにはわたし一人では大変なので、わたしとあなたが必要なわけです。

そしてあなたがいなければ、わたしだけでは創造できないものがあるのです。

感情はその最たるものですね。

 

この種まきは幾度となく繰り返されました。

途中でうまくいかないことも数多くありました。

時々、知らないうちに宇宙人に連れていかれて、どのような状態になっているのかを調べられる人がいるのは、こういった理由です。

他にも理由がありますが、その話は明日。

ですから、最初に書いたような下等な状態から進化していくという過程を経た人間もいたことはいたわけです。

ただ、魚から両生類、爬虫類から哺乳類、そして二足歩行へというものではどうやらなさそうです。

例え何十億年かかろうが、魚から人間へ進化するというのはどう考えても無理があるでしょう。

魚から両生類へというような進化はあったかもしれません。

本当のところは、必要に応じて地球上に生命の種が蒔かれた、つまりゴリラであればゴリラという生物が物質化していきなり現れたということのようです。

非常に長い時間をかければ、猿が多少進化して類人猿のようになるというのは十分可能性があります。

しかし人間にはどうやってもなりません。

ですから人間は人間として物質化したのです。

ただし、まだ色んなものが花開かない状態で地球に降ろされました。

つまり思考という面においてはずいぶん未発達の状態であったということです。

肉体面においても、猿に近いような時もあったでしょう。

ですから、一部においては進化論が当たっていなくもないということなのです。

さまざまな工夫を凝らした遺伝子を持った種が、その時々で蒔かれたのです。

 

さて、思考がどんどん発達してきて(本当は持っていたものを思い出し活用しだしただけなのですが)文明が高度に進化していきます。

ただし生命の種は地球各地に蒔かれましたので、場所により進化の違いというのが出てきます。

自然淘汰的にあるいは崇高な計画の元に絶滅する人種もあったでしょう。

古代の日本においては当初はすべてワンネスでした。

完全なる調和の元に皆が暮らしていました。

別の地域では、そうでなかったものもありました。

ところが・・・

ワンネスが崩れていったのにはもっと深い理由があるのです。

長くなったので続きは明日。

2011.2.10