これは金澤翔子さんというダウン症の女性とその母親である泰子さんのお話です。

泰子さんは長い間不妊治療を受けていましたが、念願かなって40歳を過ぎて初めて赤ちゃんを身ごもりました。

ところが生まれてきた女の子は重い敗血症にかかり、生命が危ぶまれる状態でした。

担当の医師は父親に無理に助けることはないんじゃないかと進言します。

なぜなら、その女の子はダウン症だったからです。

(僕は大学病院勤務時代より数多くのダウン症の人たちを見てきましたが、少なくとも僕の周りにはその担当医が言ったような偏見はなかったと思います)

 

もとより父親にそんなつもりは毛頭ありませんので、彼は自分の血液を提供することにより無事赤ちゃんは助かったのです。

その子は翔子と名づけられました。

ところが、ようやく生まれた娘がダウン症だという事実を知らされた母親は病院の中でショックのあまり倒れてしまいます。

 

その後、どうしていいかわからず、一寸先が闇という状態で育児をするのですが、当時泰子さんがつけていた日記には次のように書かれていました。

「・・・この子をゆりかごの中で殺す・・・」

よくこんなことまで放送で公にされたと感心するのですが、おそらく障害児を持った親で一瞬たりともその事を考えなかった人なんていないのかもしれません。

そして泰子さんはこんなことを心に決めていました。

当時金澤さん一家は高層マンションの最上階に住んでいたので、もし大きな地震が来たらそれに合わせてこの子をベランダから下に落としてしまおう。

 

で、その地震がついにやってきました。

その時、泰子さんの取った行動は・・・・

ベビーベッドの中の翔子ちゃんに覆いかぶさるようにして、家具の上から落下してくる物が彼女に当たらないようにとっさに守っていたのです。

 

この子を殺すことはできないと確信した泰子さんは腹を決めます。

この子が大きくなっても自立できるようにしよう。

元々が書道家だった泰子さんは書道教室を始めました。

翔子ちゃんもそこで他の子たちと同じように習わせました。

彼女が5歳の時です。

その第一回目、まず筆を正しく持つところから始まるのですが、他の子はきちんと持てないのに翔子ちゃんだけは正しい筆の持ち方をしているではありませんか。

泰子さんは翔子ちゃんを出産後、気持ちが混乱してきたら、いつも座って書を書いて心を落ち着かせていました。

翔子ちゃんはお母さんのそんな姿をじっと見ていたんですね。

 

この子には書の才能があると見込んだ泰子さんは、そのことを御主人に伝えます。

すると御主人は本当にうれしそうに「よし!翔子が20歳になったら個展を開こう」と言いだしました。

実はこの時の父、裕さんの言葉が翔子さんのそれからの人生を大きく左右していきます。

 

翔子ちゃんは本当に優しい子供でした。

運動会で駆けっこをしている時、当然みんなから大きく離されて走っているのですが、彼女には勝ち負けの観念がないのでうれしそうに走っています。

みんなと一緒に何かをするのが楽しいのです。

そんな中、前を走っていた女の子が一人、転んでしまいました。

それを見ていた大人たちは全員が翔子ちゃんがその子を抜かしていくだろう、ダウン症の子が少しでも順位をあげれてよかったね、くらいの事を考えていたことでしょう。

ところが、翔子ちゃんはその子のところで立ち止まり、手をとって「大丈夫?」と声をかけながら起きるのを手伝ってあげたのです。

結局、翔子ちゃんはビリでした。

 

そのうち学年が進むにつれて、授業についていくのが難しくなり・・・・難しいのは小学一年の時からそうなのですが、そこにおいて同級生との間がどんどん離されて授業中も孤独な状態になっていったのです。

そこで学校側から、養護学校へ転校してはどうか、という提案というかお願いのようなものが出されました。

泰子さんはその時、もちろん勉強が他の子供たちと同じようにはできないけれど、翔子にしか出来ないことを身につけさせようと、5歳の時から始めていた書道を本格的に教えることにしました。

並大抵な努力ではなかったと思いますが、やはり天賦の才があったのでしょう、彼女はメキメキと上達していき、中学生の時には全学生の書道コンクールで銀賞、翌年には金賞を受賞しました。

銀賞を受賞した翔子さん14歳の年、父、裕さんが心筋梗塞のため夭逝されました。

52歳の若さでした。

 

泰子さんは、もっと上を目指させるために自分の師匠である書の先生に師事させます。

(名前は失念しましたがその世界では第一人者の方です)

翔子さんの作品には雑念がありません。

上手く書こうとか、心の内側を表現しようとか、このように書かなければいけないとか、また従来の枠から抜け出そうとか、そういったものが一切ないのです。

これにはね、いくら超一流の書家でもかなわないそうです。

 

そしてついに、翔子さんが20歳の時、個展が開かれました。

予想をはるかに上回る数多くの人が見に来られました。

そして、彼女の書の前で涙を流す人が続出。

よろしいですか、書ですよ書。

その前で泣くなんてことが普通あるでしょうか?

彼女がダウン症だから心打たれたのでしょうか?

僕は違うと思います。

その書にそれだけの力があったのだと思うのです。

 

その個展を見に来ていたあるお寺の住職さんから、うちの寺で個展を開かないか、というお誘いを受けます。

それを機に方々のお寺から書の依頼が来るようになり、その中でも僕が圧倒されたのは「風神雷神」という書。

屏風に書かれたそれは、まるで本当に俵屋宗達の筆による風神雷神図を見ているようでした。

だから建仁寺の方から是非にと頼まれて本物の風神雷神図の横に飾られたりしたのです。

圧巻とはまさにこのこと。

 

翔子さんは現在25歳。

泰子さんの書道教室のアシスタントをしながら、幅広く書の世界で活躍されています。

 

ある日、翔子さんはお母さんと公園を散歩していました。

実は近々あるお寺から依頼を受けて、「花鳥風月」という字を席上揮毫しなければならず、そのイメージを具体的に体に感じて教えるためです。

昔からこうやってきました。

翔子さんの父、裕さんが急死した時、泰子さんは翔子さんにお父さんが死んだとは言いませんでした。

 

「しょうこ、おとうさんはね、あなたの胸の中にはいっていったんだよ」

 

翔子さんは今でも本当にお父さんは自分の胸の中に入ってると思っています。

そして・・・・

池の周りを歩いている時、ふと風が吹いてきました。

泰子さんは「翔子、ほら、これが花鳥風月の風だよ。お父さんも風になって翔子の胸に入っていったんだよね」

すると翔子さんは急に両手を大きく広げ、その風を体中で感じています。

感じながら、涙があふれてきます。

「お父さま、いつもありがとう。翔子は頑張るから、お父さまも応援していてね」

そう言って、そばに立っていた樹を抱きしめキスをします。

 

 

こんなん見て、普通でいられますか?

とにかくエライもん見た、という感じで、テレビを消した後はハーフマラソンを走り終えたくらいの疲労感がドッときました。

詳しくお知りになりたい方はこちらのサイトでどうぞ。

あなたもぶっ飛んでください。

 

だからね、いつも言うんです。

ダウン症の子は天使だって。

正真正銘の天使なんだって。

 

番組の中で母の泰子さんはおよそ次のように語っておられました。

細かい部分は少し違うかもしれません。

 

あのね、障害児の親は2度苦しむんです。

1度目は生まれた時、一体これからどうなるんだろうという絶望感。

もう1度はわたしが先に死んだら一体この子はどうなるんだろうという不安感。

でも私たち親子は今は本当に幸せです。

ずっと精一杯生きてきたし、もうこの翔子がいつ死んでもまったく悔いがありません。

幸せなまま死んでいけるのです。

 

そして翔子さんがお母さんへあてた手紙を読みます。

 

お母さん。

翔子はお母さんのことが大好きだから、お母さんのところへ生まれてきました。

 

25歳なんだけれど、覚えてるんですねぇ、その記憶を。

2011.2.19