今からJR奈良駅前で開かれる朝市に家族で行ってきます。

僕は精算係だそうです(笑)

外の空気は桜が咲き始める時のそれですね。

まだ寒の戻りがあるんでしょうが、なんとなくワクワクします。

 

昨日の続きを少し。

決して願望実現の話じゃありません。

タイトルの英訳は正しいかどうか知りません。 

 

これは有名な話なんですが、あるお祖母さんが毎朝孫が小学校に行くのを玄関先で見送っていました。

その家の前の道はすごく狭い上に交通量が多いので、危ないといえば危ないわけです。

特にすぐそこの交差点の所は、見通しが悪い上に通る車があまり減速せずに通ったりするので、お祖母さんとすれば毎朝気が気じゃありません。

「気をつけてね。そこの角は危ないからよく見て渡るんだよ」

これを毎朝言い続けていました。

そしてお祖母さんの頭の中では、孫が車に轢かれている姿がイメージされていて、それによって益々心配になるのです。

 

もうおわかりでしょうが、ある朝、本当にお祖母さんの心配していた通りになりました。

残念なことですが、この事態を引き起こしたのは孫のためにと心配し続けたお祖母さんその人なのです。

もちろんここの交差点は危ないと常に自分に言い聞かせていたその子の意識も影響しています。 

 

今は携帯メールに不審者情報がくるように登録したりなんかします。

それを見るたびに近くで不審者が現れたということに恐れおののき、子供のことが心配でたまらなくなります。

その結果、その不審者は本当はただの人だったかもしれないのに、不審者として現実化し皆さんが心配していた行動にでるということになります。

そんなにビクビクして暮らしていて楽しいですか?

 

でも子供の安全のことを考えたら・・・・

犯罪や事件に巻き込まれるのにはきちんとした霊的な理由があります。

ただそのことをここで書くのは適切ではないと考えます。

実際に被害に遭われた方やご家族の心情を考えると、それはあまりに非常識だからです。

ごく身内の会だったら話せなくもないのですが。

これだけは言えるのですが、もしそのような運命にあるのなら例え子供が小さい時に目を光らして守ってあげたとしても、その子はいずれ何らかの形で同様の出来事に会うこと必定です。

ただし防ぐことは可能でして、それは子供が成人してからも犯罪に会わないようにずっと見守ることではなく、親や周囲の人間が愛に目覚めること、許しを知ることなのですね。

するとその運命は変化していきます。

というより、犯罪を防ぐのにはそれしか方法がありません。

 

道の向こうからすごく怖そうなお兄さんがやって来ました。

明らかに普通の人じゃなさそうです。

あなたがその人に犯罪者の影を見るなら、もしかしたらすれ違いざまにあなたは本当に刺されるかもしれない。

でも、そのお兄さんがそこの辻を曲がってくる前に、道にしゃがみこんでそこにいた子猫の頭を撫でている姿を見ていたなら、あなたにはその人が違って見えるでしょう。

そして通りすがりにニコッと笑いかけるかもしれません。

 

これは「聖なる予言」の第三作目にあたる「第十一の予言」の中にあった言葉です。

 

相手の中の最も崇高な部分を見なさい。

そこに焦点を当てなさい。

すると相手は自分の中の神聖さに気づき、本来の自分を思い出すでしょう

2011.2.27