聖なる光現る

被災地の方は何より情報が欲しいと思いますが、これからは枝野官房長官が言っていたようにいろんなチェーンメールが回って来る可能性があります。

どうか意識をご自身の内側に向けられて、直観を信じて冷静に判断されることを望みます。

 

陸前高田の大和田あけみさんはご無事でした。

それもインドでセミナー参加中(!)とのこと。

その他の方のご無事を祈るばかりです。

 

昨日よりインド21日間コースの同期である愛知の佐藤さんが我が家に泊まりに来られています。

本日、三輪大社で行われる三卯大祭に一緒に行くためです。

12年に一度の卯の年、卯の月、卯の日。

そこでお祈りしてきます。

 

昨夜布団に入ると、明らかに高次のエネルギー体がやって来ました。

僕の足元左斜め上に直径1mくらいのオーブがいたんだと思います。

僕にはオーブの姿は見えませんでしたが、でも明らかにそうだとわかる。

そのせいで暗いはずの部屋の中がやけにクリアに見えます。

受け取ったメッセージはひとつ。

 

「自らのねじれに気づいてください」

というものでした。

 

ねじれ、とはいわゆる捻じれ。

矛盾とも解釈できますが、明らかにねじれという語でした。

昔、数学で習いましたが、空間におけるねじれの関係とは「二つの直線が、どこまでいってもまったく交わることなく、また平行でもない状態のこと」です。

 

自分の内側のねじれ。

自分と周りの人間との間のねじれ。

そして自分の女性性と男性性のねじれ。

社会のねじれ。

いろいろと考えられます。

これが今回の地震を引き起こした、のかどうかわかりません。

ただ「ねじれに気づいてください」というメッセージを受け取っただけです。

 

その後、おそらくそれとは違うエネルギーが僕の体の中へと入って来て、しばらくして出ていきました。

あちこちの細胞を振動させながら。

こういった時考えられるのは、DNAの記憶の回路を開いていくということなんですが、よくわかりません。

普通に寝させてくれよ(笑)

 

吉野弘 「生命は」

 

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不十分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべが仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分 他者の総和
しかし 互いに
欠如を満たすなどとは 知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに うとましく思うことさえ許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光りをまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない


 

昨日、佐藤さんと近くの「粟」というお店に食事に行きました。

直前に電話しても普通予約取れないのに、昨日はなぜだか空いていました。

そして2階に案内され、しばらく話していると急に佐藤さんが固まりました。

その視線の先にあったのがこの詩が書かれた額です。

彼は以前に知り合いからこの詩をプレゼントされたそうで、それが目の前に現れたので大変驚かれていました。

 

 

 

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