え~、歯科医としての信頼はともかくとして競馬の予想屋としての信頼は獲得しつつある今日この頃。

皆さまいかがお過ごしでしょうか?

あの時は書かなかったのですが、桜花賞はゾロ目決着(変則ゾロ目を含む)になるであろうことはわかっていました。

つまり3着までのうちの、どれか2頭が同じ枠にいるということです。

1着馬は予想通り安勝騎乗の4枠⑧番の馬。

2,3着が8枠の2頭。

人気馬同士の決着だったので配当は大したことなかったのですが、僕は3着馬を買っていなくて馬券はハズレ。

4枠か1枠から変則ゾロ目が出るのでは、との予想だったのですが。

 

昨日の昼休み、自転車で銀行に行く途中の出来事。

誰かが道の端に放ってあったビールの空き缶が、強風にあおられてこちらに転がってきます。

このままだとまず間違いなく前輪で踏んでしまう。

ブレーキをかけましたが間に合いません。

するとどうでしょう。

なんとタイヤに当たる寸前で転がってきた元の方向にカラカラカラと、これまたすごい勢いで戻っていきました。

あり得ない動きでした。

アルミ缶なのでぶつかったところで大したことはなかったでしょうが、この世界を全面的に信頼しているとこういう不思議な体験をするんですね。

 

日曜日のセミナーはインプラントにトラブルが起こった時の対処法と、これから益々主流になっていくであろうメタルフリーの補綴物(金属を一切使わないオールセラミックの被せ物)についての話でした。

ゴールドの価格の高騰という問題もあるのですが、日進月歩のこの世界ではCAD/CAMの精度も問題がない位まで上がり、材料もどんどん改良を重ねてきているので、当院でも本気で取り組もうと思っています。

これについては技工士の方にもその気になってもらわないといけないので、うまく連携をしていきたいと考えています。

そのセミナーの講師は僕が大学を辞めて広島に勤めていた医院の院長です。

妻はそこの歯科衛生士をしていたのです。

講演を聞きながらふと阪大病院を辞した経緯が思い出されました。

 

うちの医局の教授は非常に頭も切れて優秀な人なのですが、いかんせんアクが強い。

まあそれも欠点ではないのですけど。

大学院を出て3年目、まだ助手にもなっていない日給月給で働いていた時です。

院を出て最初の給料は確か手取り14万5千円くらい。

まさか阪大の歯学部病院の歯医者の給料がそんなものだと誰も思いませんから、患者さんに話しても信じてもらえませんでした。

その後、人事院勧告で17万位まであがったかな。

もちろん助手(国家公務員)になれば30万は超えていました。

助手以上の人事権はその講座の教授にはありません。

教授会での承認がいるからです。

ところが下っ端の医員は科長(教授)推薦ということになっているので、年度が変わる時に推薦枠から外されれば終わりなわけです。

 

その頃、うちの教授は全身と咬合というのに興味を持ちだしました。

単なる顎関節症というところから、噛み合わせを治せばいろんな不定愁訴が治っていくというところに焦点を当てていったのです。

それはまあいいとして、そのために医局に外部から講師を招いたりしたのですが、僕に言わせればどれもこれも食わせ者ばかりなのです。

僕は、すでに噛み合わせについて横浜の某先生に師事していました。

そこで学んだことは実は非常に基本的な事こそ重要なのだということです。

ところが外部講師が言うのは、噛み合わせの高さを挙げたら下がっていた右肩が上がり、姿勢が良くなった、みたいなことばかりです。

そのこと自体は別にいいのですが、そこに診断も根拠も何もない、ただやってみたらこうなった、などということを大学で話させるなと思ったわけです。

僕たちベテランの医局員なら、自分の頭でそれらの情報を取捨選択できるからいいのですが、1年目のまだ何も分からない医局員にまで聞かせるな、というのが僕の考えでした。

それよりも、精度の高い被せ物を作るのにはどうすればいいかを学ぶことの方が大切だろうと。

 

そこである時、医局員全員が外部講師の話を聞きに講義室に行っている時に、一人ボイコットして医局に残りました。

講義が終わるとすぐに教授から呼び出しがかかりました。

「西塔、おまえ俺の言うことが聞かれへんねやったら辞めてくれ」

元より覚悟の上です。

「わかりました」

ということで、すぐに人事課に行き辞表の書き方(ひな型)を見ながら、生まれて最初で最後の辞表を書いて提出しました。

医局に戻ると教授がいたので「今、人事の方に提出してきました」と報告。

「うむ」と教授。

 

さて、僕は教授が嫌いだったわけではありません。

むしろ好きなタイプの人です。

でも、やり方が違うと思ったら諫言するのが筋でしょう。

少なくとも僕は当時、一つの研究室を任されていたので当然の役目と思ったのです。

僕が医局を辞めた本当の訳は教授に非ず、そのような教授に何も言わない僕より上の教官たちでした。

自分の保身を図って、本当に医局の事を考えてるのかこいつらは、という思い。

そしてその反面、個人的にはどの先輩方も大好きだったのです。

だから、僕がこれ以上ここにいては全体的には迷惑をかけると考えたので辞表を出したのですね。

 

その後、僕はいきなりプー太郎になりました。

かろうじて2軒ほどの先輩の歯科医院でアルバイトをして食いつないでいたのです。

2,3カ月は夜アルバイトに行き、帰って来てから行きつけのバーで食事して朝まで飲んで、帰って昼過ぎまで寝る、というような生活を続けていました。

ずいぶん後になってから聞いた話ですが、そのうちの1件の医院に教授から電話があり

「西塔のバカは、ワシがこういう風に言うたらホンマに辞表を出しよった」

と言ってくれてたそうです。

でも僕の性格をよく知るその先輩は、

「まあ、彼やったらしゃあないんちゃいますか」

その後、以前カナダのバンクーバーで開かれたアメリカ歯周病学会でたまたまご一緒した広島の先生のところで拾って頂いたわけです。

 

これだけ聞いたら、なんか僕が正義漢で周りが悪者みたいですが、そうではないのです。

青かったといえばそれまでなのですが、僕はすごく限られた視点からものを見ていました。

今でも間違った行動だったとは思っていませんが、でも教授も助教授以下他の先輩方も皆さん自分の真実を生きていたのです。

誰も悪くありません。

僕はそのお蔭で妻と出会い、今の子供たちとも出会えたわけなので、何かが間違っていたわけでもないのです。

 

タンポポが咲き始めました

ワンネスセンターの前の街路樹の間にタンポポが咲き始めました。

本格的な春の訪れですね。

ちなみにこの調子で皐月賞の予想もお願いと思われてる皆さんに一言。

このホームページの目的は「あなたの心に幸せの種をまく」ことにあります。

競馬の予想サイトではありませんので、それについては気が向いた時の配信になります。

(また、やんのかいっ。(笑))

2011.4.12