木全はキマタと読みます。

歴史の先生で僕が中学入学した時の担任でした。

附属平野小学校からエスカレーターで中学に入学するのは2クラス分。

残り1クラスおよそ50人が受験を経て入ってきた者です。

そこに入るくらいですから、僕は小学校では学校で一番勉強ができました。

しかし、中学に入ると算数が数学になり、理科もより複雑になり、なにより英語の授業があります。

そこでつまづきました。

その話はのちほど。

 

附属の入試は変わっていて、筆記、運動能力、親子での面接、それらを無事通ったものは最後になんと抽選が待っています。

最初から50人選別すりゃよさそうなものですが、なぜか60人通して10人を抽選で落とすということをするのです。

いまだに学校側がなぜあんなことを続けていたのかわかりません。

受験生も実力が及ばず不合格ならまだ納得もいきます。

でも抽選で落ちたら悔やんでも悔やみきれないでしょう。

 

無事面接まで通った僕は母親とともに抽選会場にいました。

会場の前には大きな細長い箱に、合格、不合格と記された封筒が60枚入っています。

僕は最初っから一番右端から2番目の封筒を取ろうと決めていました。

すると僕より5人くらい前の男の子がなんと、まさに右端から2番目の封筒を取ってしまったのです。

「えらいこっちゃ」

でもどうしようもありません。

そこでおよそ真ん中から少し右のどれかを取ろうと思いましたが、実際に取る段になると何が何かわからなくなって適当に選んだように記憶しています。

結果は、僕の取った封筒には合格の文字。

ふと左斜めを見ると、本来僕が取ろうと思っていた封筒を取った彼がうつむいています。

おそらく泣いていたのでしょうが、あまり大仰に泣くと隣にいる母親を悲しませると思って頑張って我慢していたのかもしれません。

彼は今、どうしているだろう?

 

世の中に善悪はないとはいうものの、これはちょっとないんじゃないか、と思います。

今はどのようになっているのかは知りませんが、おそらく廃止されてるんじゃないでしょうか。

 

さて、大阪の下町の市立小学校で一番だった少年は、一気に学年で真ん中より下という状況におかれました。

まず因数分解がわかりません。

よく、どこがわからないか、何がわからないかを言わないと教えようがない、なんてことを言いますが、そんなのはわかっている人の言い草であって、こちらは何がわからないかもわからないから困っているわけです。

学校の勉強がわからない、という経験は初めてなのでとまどいました。

しかし、実際問題わからないし、テストの成績もひどいものなので「ああ、僕はダメな人間なんだ」と思うのにそう時間はかからなかったのです。

家で勉強して解決するんだったら勉強します。

たとえばすごく基礎的な参考書や問題集をやっていても、最初はアホみたいな問題でスラスラ解けるのですが、そのうち結局同じ壁にぶちあたるのです。

 

僕は学校で落ちこぼれていく生徒たちが、あながち彼らの勉強不足や意欲不足だなんて思いません。

小学校から中学校の授業内容の極端な難易度の変化はいかがなものか、と考えます。

僕ですらそうなったわけですから、小学校で普通の成績だった人は中学の授業なんかが面白いわけがないでしょう。

ひとえに、生徒一人一人が何に興味を持っているのか?何を知りたいのか?ということと教育は生徒の霊的な成長のためにあるということが無視され続けているからです。

 

そんな僕が少し復活したのは、一学期の夏休みに家庭教師をつけてもらったからです。

大阪外大在学中の女の先生に英語を教えてもらいました。

まずは徹底的な暗記から始まりました。

理屈はいいから、丸ごと覚えるということをしたのです。

すると二学期からは僕の英語の成績は一気にトップクラスになりました。

それ以来、高校卒業まで少なくとも英語に関しては人にひけをとらなかったと思います。

何ごとも芯になるものがあるというのはちょっとした強みで、英語に自信をつけるとすべからく他の教科もなんとか人並み程度には出来るようになりました。

それ以上にはならなかったけれど。

 

だいたい周りには知る人ぞ知る入江塾というのに通っていて、本気で東大目指してるやつがワンサカいるのです。

頭の出来が違う、これは本当にそう思いました。

そのうちの一人に僕と同性で漢字が違う斉藤というやつがいたのですが、皆は彼のことを賢い方の斉藤と呼び、僕のことをエッチな方の西塔と呼んでました。

おまえらな・・・・・

 

中学時代の思い出なんか書いてたら、それこそインド紀行みたいになってしまうので割愛しますが、特筆すべきは担任だった木全先生です。

僕はだいたいが目立ちたがりでロクでもない言動しかしませんでしたから、いつも目をつけられ(目をかけられではない)、途中から席替えする権利すら奪われました。

月に一度の席替えでも、僕は教卓のすぐ前の席で固定。

隣の子が変わっていくだけです。

 

この先生は歴史上の出来事を、なぜそれが起こったのか、という理由や必然性を考えさせませた。

そして世界で何が起こっている時に日本はどうであったか?と歴史を横の時間軸で見ることも教えてくれました。

出来事同士の有機的な関連性を考えるように言われました。

そして、なによりムカつくのは人生最大の難題を出していったことです。

 

世界の歴史上、進化した文明の場所には必ず大きな河川がありました。

四大文明を考えても、エジプト文明~ナイル川、メソポタミア文明~チグリス・ユーフラテス川、インダス文明~インダス川、黄河文明~黄河という具合です。

さて、世界地図を見渡した時に、じゃあなぜミシシッピ川の流域にはそのような文明が出来なかったのか?

 

これを世界史の最初の授業で問われたのです。

もちろん木全先生自身も答えはわかりません。

今なら僕は、一般的に言われるような高度な文明ではなかったかもしれないが、ネイティブインディアンという霊的に発達した文化を持つ人たちがいたと答えるでしょう。

しかし、それとてどうも先生の質問の正解にはなっていないような気がする。

悔し~い!

 

閑話休題

僕が入学した時は丸坊主でした。

オシャレも何もあったもんじゃありません。

でもお風呂で髪を洗うのと乾かすのが非常に速い。

ちなみに、その状況は今も変わりません。

僕が風邪引いて、たまに朝シャンとかすると、一瞬で乾いた状態で洗面所から出てくるので妻にビックリされます。

全工程いれても、まあ20秒もあれば十分(自慢か、それ)

 

ところが2年生になると、生徒会と学校側との話し合いの末「自主規制髪」というのになりました。

前髪は垂らした時に眉毛にかかってはいけない。

横は耳にかかってはいけない。

後ろは制服の襟にかかってはいけない。

そういう規則です。

なんかわからん自主規制髪ですが、おかげで普通の少年に戻れました。

 

僕は元来が髪の毛の量が多かったので、散髪屋さんに行っても多量の毛をすいてもらわないといけませんでした。

終わったら下に落ちてる多量の毛をホウキではいてはりました。

今だったら、隣の人の下に落ちてるやつをチリ取りに集めて、上から振りかけてもらわないといけない・・・もういいですか?こんな話。

 

木全先生は2年になっても担任でした。

3年は別の先生に変わりました。

僕の附属中学時代の唯一の自慢。

それは3学期×3年間、ずっと通知表の最後の担任評のところに「もう少し落ち着きが欲しい」と書かれ続けたことです。

途中で担任変わってるのに・・・・・。

 

で、今がコレ。

人間、そうそう変わるもんじゃございません。

2011.4.16