皆さん、ゴールデンウィークはいかがでしたか?

僕は混んでいる時に混んでいる所へ行くのが大嫌いなので、家でゆっくりしていました。

十分英気を養ったので、また今日からガッツ出して仕事ができます。

 

昨日の話はどうだったでしょうか?

色々な感想があって当然だと思います。

すべてそのまま受け入れます。

ただ僕が心底驚くのは小学校六年生の娘が将来の希望を明確に語り、それに向けて動こうとしたことです。

自分の12歳の時を思い出してもちょっとあり得ないです。

僕はただ母親の言うままに附属を受験して、将来何をしたいか?何になりたいか?というのは大学受験の時に考えればいいのだ位にしか思っていませんでした。

ていうか、ふつうそうやんねぇ?

娘のことが自慢というより、ビックリする、ただそれだけであります。

 

なぜそうなったのか考えても、とりたてて理由は思いつきません。

今では珍しいのでしょうが、塾には行きませんでした。

行きたいと言わなかったから。

一日だけ体験入学したのですが、すぐ嫌になったみたいです。

仮に彼女が将来、医者や歯医者になりたいというのならそりゃ塾に通わせます。

僕たち夫婦は、藍が中学卒業したら高校進学しなくていいから、どこかの料理屋さんで見習いから修行するか、あるいは後継者のいないような伝統工芸の人の元で学ぶか、とにかく手に職をつけろと考えていまして、一般的な親の思考とはかけ離れていたのは事実です。

人生で大切なのは創造だから、進学したけりゃ進学すればいいけれど、それ自体が目標になんかなりっこないと考えるのです。

 

歯学部の同級生を見ても皆、子供の受験や進学に一所懸命。

塾までの送り迎えまでする始末。

僕に言わすとそちらの方があり得ません。

そして何よりつらいのは、彼らが自分の子供の成績を嘆き、「うちの息子は出来が悪いから」というのを聞く時です。

「こいつ、何言うとんじゃ!」と思うわけです。

 

うちの子供たちは皆、とりたてて勉強が出来るわけでも、出来ないわけでもありません。

運動は各々得手不得手があるみたいです。

藍はどちらかというと学校での運動が苦手でしたが、彼女は今、非常に逞しい体をしています。

子供たちに競争ということを教えませんでしたから、スポーツで誰かに勝つということに興味がないのかもしれません。

子供たちでよく喧嘩をするし、泣くし笑うし怒ります。

多少子供同士蹴ろうが、髪の毛引っぱろうが、親は間に入りません。

それを妻が藍に咎められたことがあるくらいです。

「子供が喧嘩してるのに、親としてどう思ってるねん!」(笑)

でも一番うるさいのは、喧嘩してる子供を叱る母親の声なんだけど・・・・。

 

そもそもこういう風に子育てをしようという意識が僕たち夫婦には皆無です。

な~んにもしてない、というのがホント。

最低限のルールを守らせるようにしておけば、子供は飛びたい所に飛んで行く、サイドメニューの「子育てと教育」に書いてある通りです。

どこに飛びたいかは、そしてどのように飛ぶのかは親じゃなくて本人が決めること。

僕たちは求められた時にだけ手を貸せばよい、そう考えています。

彼女達は非常に個性的で想像力が豊かで創造的です。

今後社会が変化していった時に、この子たちがどのようになっていくのか想像も出来ませんが、少なくとも従来の価値観で進学していく意義は失われていくだろうというのが僕の考えです。

そして職業の貴賎はないので、日々働くことができるのなら、それで問題なし!と思います。

今、藍がやっているのだって彼女の人生においては冒険でしょう。

そう、冒険のない人生なんてつまんないじゃん!

 

彼女がホームシックにならないかというと、どうやらあまりならないみたいです。

必要なこと以外ではほとんど電話もしません。

月に一、二度あるかないかです。

心配じゃないかと言われると、心配なんか微塵もしていません。

ところが、ああそうなんだと思わせることがありました。

昨年の12月はじめに帰って来て、向こうでお正月を過ごすからというので半ば過ぎの明日帰るという日。

カバンに荷物を詰めながら藍は「お母さんも一緒に来てぇ」と言って泣いたそうです。

そして妻と二人抱き合って当分泣いてたそうなんですね。

で、しばらくして泣き止むと、もう彼女は前を向いていました。

その話を聞いて、まだまだ幼い藍と大人になりつつある藍の二人を見た気がしました。

 

さて、よく他の母親達に藍のことを興味を持って聞かれた時に妻が感じるのは、「藍ちゃんスゴイねえ」と口では言いながら、結局は自分は違うんだ、自分の子育ては間違ってないんだということを確認しているということだそうです。

なっとく。

「よくそんなこと許したね?」というのも頻繁に言われます。

許すも許さないもないじゃん。

逆に聞くけど、アカンて言う理由はなに?

 

子供は親を写す鏡の役目を買ってくれています。

でもずっとそうじゃダメなんです。

親がその鏡に写る自分の姿を見ないと。

それを改めるとかじゃないんですよ。

そうだということを認めることが大切なんです。

すると子供は鏡の役目を終え、自由に羽ばたきだします。

その時に子供のことを天使だと信じられるかどうか。

天使と思って育てられた子供は、その羽根がバサッと目に見えないけど大きく広がり、僕達の常識では計り知れない、けれどまぎれもなく天地をつなぎ人と人をつなぐことをするようになります。

まあでも、この天使たちはよく喋ってうるさいし、好き勝手するからメッチャむかつくんですけどね(笑)

 

いったい藍はいつまでそこにいるつもりでしょうか?

中学卒業?

それともその後もずっと?

自給自足生活のハウツーだけなら、本でも学べますし、実地体験といってもそのような研修会はあるでしょう。

僕が今思うのは、「自給自足の本質は何か?」ということです。

そこで実地に何を学んでいるのか?

それがわかれば、彼女は次のステップに行くのじゃないかと考えています。

ん?

その答えですか?

僕は出題者ですから答えは知っていますが、皆さんも考えてみてください。

 

僕は冗談じゃなく、藍が既成概念に縛られた子供たちを救う旗手になると本気で信じています。

本人にはそんなつもりは毛頭ないでしょうけれど。

まあ、大したヤツです彼女は。

フウもきっと何らかの形でそれに続くでしょう。

そして一番下の慧も。

なぜそこまで子供たちのことを信じられるかというと、僕がこんなメッセージを書けるのもすべて子供たちとの人間関係で学んだことだから。

教えてくれたのは全部子供たちなのです。

2011.5.6