I LOVE ヒロシマ
広島の街が好き。
広島の道が好き。
広島の人が好き。
広島の言葉が好き。
31歳の秋、忘れもしない10月10日、その頃は体育の日。
大学院を出たにもかかわらず教授に反抗してクビになるという前代未聞の歯科医は、新しい勤務地へと引越しするために中国道から山陽道へと、ワンルームの部屋にあった荷物を詰め込んだレンタカーを走らせていました。
高速道路の両脇には見渡す限りの黄金色に輝く稲穂が頭を垂れており、僕の心の中とは裏腹の光景に大いに戸惑うのでした。
「大学を(歯学部を)変えていきたい」
そう志したものの現実は思うにまかせず、大阪から広島へと落ち武者のような心持です。
何が何でも研究業績を伸ばさなければならない。
今でもそうなのですが、当時はそういう風潮に強く傾き始めた時期です。
医科歯科系の大学というのは臨床、研究、教育の三本柱がうまくかみ合わなければならない。
それが研究だけが重視されるようになると、バランスが崩れ出す。
「大学とは人を育てる所である」
これは今でも僕の持論ですが、そのような視点を持っている人は現在でも少ないのではないかと思われます。
今回宿泊した法華倶楽部は学会場からも近く繁華街にも近いので僕としては非常に快適。
部屋の無料の有線LAN接続もまったく問題なかったのですが、読者の方はもうお分かりのように、地方へ出張に行ってブログ更新できるような人じゃありませんでした、僕。
いまだに自分のことがよくわかってなかったみたいです(笑)
第120回歯科補綴学会学術記念大会
学会場となった広島国際会議場は平和公園内、原爆資料館横にあります。
補綴(ほてつ)とは口の中の失った形態、機能回復をする行為で、通常どの大学でもクラウン・ブリッジと有床義歯の二つに分かれています。
前者はいわゆる被せ物を入れるところで、後者は文字通り入れ歯です。
ただそれらは研究と教育においては厳密に分かれていますが、診療面においてはクロスオーバーしています。
僕は大学卒業後、阪大の第一補綴学講座というところに在籍し、とりあえずは顎関節の研究室に所属しましたが、大学院生としての研究は口腔生理学講座というところで脳神経生理学というのをやってました。
ウサギを使った動物実験が主です。
ここでは大変な数の殺生をしましたので、自分の子供が生まれる時はドキドキものでしたし、今では動物実験に対してはどちらかといえば反対の立場をとっています。
人によれば大学卒業後、母校ではなく自分の地元の大学の講座へと行く人も多いです。
だから、こう言う言い方するのもなんですが、阪大病院にいるからといって阪大出身とは限らないということです。
学位取得後はインプラントの研究室を任されました。
当時は大学においてはまだまだインプラントに対して否定的な考えの教授が多かったので、何かとやりにくかったです。
その後、世間の風潮がインプラントをごく当然のものとして認識しだし、臨床サイドからその地位を固めていくに従って、否定的立場をとっていた人たちもこそっと容認派に変わっていったという、僕に言わせれば「ええ加減にせんかい!」ということがあちこちで起きました。
広島に来た僕は当初、勤務先の院長先生がマンションの部屋を一室余計に借りておられたので、そこに居候させて頂きました。
上幟町(かみのぼりまち)というどちらかといえば上品な所でして、広島女学院中学の裏手にあります。
広島という街は自転車さえあれば、たいていどこだって行けちゃう便利な街です。
勤務先の横山歯科は新天地と並木通りの間、三川町にあり自転車で5分くらい。
中央通りという大きな道を渡れば、新天地から流川、薬研堀という繁華街がすぐです。
10分こげば駅前の的場という下町で、JRAのWINSがそびえています。
少し路面電車に乗れば宮島、宇品という海方面へ行けるし、車で1時間北へ行けば県境あたりで渓流釣りができます。
一度街が崩壊したせいで、道路は広く整然としており移動しやすい。
そして何より感じるのは、街自体に平和の祈りがこめられていることです。
地元の人は「そんなこと感じん」と言うかもしれませんが、他所から来た人間にとっては非常に印象的です。
原爆資料館や貞子像に捧げられた千羽鶴のことだけを指しているのではありません。
あらゆる公共の建物や何げなく置いてあるモニュメントすべてに祈りがこめられていることを実感するのです。
声高に「核兵器廃絶!」と叫ぶのではなく(もちろんそんな人もいますが)、ただ静かに平和への願いを持ち続ける、これが大阪という自己主張の強い街から流れてきた人間には逆に新鮮でした。
街の歩道で自転車に乗っていると、前を歩く人が全然気づいてくれなくて避けてくれないので、仕方なくチリンチリンとベルを鳴らすことがあります。
大阪ならね、どんなオバちゃんでも周囲に異常なまでのアンテナを張っているので、全く後ろを見ていないはずなのにすぐに自転車の存在に気がついて道をあけてくれます。
うちの嫁さんも、いまだに全然周りに気を配ってないなぁ、と感じることが多いです。
僕は人のものまねが得意なので、地元の人にはバレるかもしれませんが県外の人にはそれと気づかれないように広島弁をしゃべれます。
だいたいが、家では嫁さんとは半分広島弁で話すのです。
写真は元安川。
かつて多くの方がここに飛びこまれました。
左奥に原爆ドームが見えます。
どうして、僕の行くところこういうものばかりあるのだろう?
これ、わざと?
今日も多くの人が訪れ、祈りを捧げていきます。
なんか思い出話になっちゃいましたが、つづきは明日。
最後に業務連絡があります。
当院にて治療希望なさっている岐阜のN様。
僕からのメールの返信は届いていますでしょうか?
受付に電話して予約をお願いします。
2011.5.23