Rainbow Bubble ~シャボン玉石けん~
毎日暑いっすね~。
僕たち家族は寝る時に通販生活で買ったガーゼのパジャマにガーゼのシーツを敷いて寝ます。
汗はかくんだけれど、ガーゼが吸ってくれてすぐに蒸発していくので肌にまとわりつきません。
僕の汗拭き用のタオルもガーゼでできていて、金魚の模様が入っています。
当分着てないですが夏の浴衣はトンボの絵柄。
これを「ならまちカワイイ系」といいます(笑)
一昨日のブログで阿部敏郎さんの本のことを書きましたが、少し誤解のないように補足しておきます。
本の「シャングリラからの伝言」は地球で生きる人間が知っておくべき宇宙の原理原則が書かれています。
場所や次元が変われば、多少表面的な内容は変わります。
当然宇宙の実体はより複雑精緻ですが、小学生が微分積分など知る必要がないように、僕たち人間にはあれ以上の知識は必要ありません。
言いかえれば僕たちはまだまだ小学生レベルで、知るべきことなど九九くらいのレベルであるということです。
またあの本は2012年を前にして書かれています。
この分離から統合へと向かう最中で様々な悩み苦しみを抱えている人のために、その原因を示すものでした。
そして自ずからどうすれば良いのかを示唆するものでもありました。
ひるがえってこのブログは、常に今どうなのか?というスタンスで書かれています。
地球の波動上昇がこれだけ激しい中で、その波に合わせてメッセージを出しています。
そこで書かれることは、2012年とそれ以降の明るい未来に向けられています。
阿部さんの本が「シャングリラからの伝言」の先を行くものではない、と書いたのはそういう意味なのです。
阿部さんの名誉のために言っておきますが、決してこちらが優って向こうが劣っているということではありません。
なぜ珍しくこういう弁解がましいことを言うかというと、おそらく阿部さんの「いま、ここ」というのは現代の日本にとってなくてはならないもの、それを必要としている人が多いということなのでしょう。
さて、先日「かえる庵」さんで産経新聞を読んでいると、シャボン玉石けんの若社長がインタビューに答えていらっしゃいました。
そこで印象に残ったことがあります。
皆さん体を洗う石鹸とか洗顔用の石鹸とかには気を使われるのですが、それらを使っている時間など僅かなものです。
しかし衣服や下着類は24時間着けているわけですから、洗濯用の洗剤にこそ気を使って欲しい。
それを合成化学洗剤から自然なものへ変えるだけで、どれだけの家庭用排水がきれいになるか。
エコとか天然自然を声高に言うのはいいけれど、ほとんどの人がそれがあくまでも自分だけに向いている。
自分のエコ、自分の自然な生活、自分や家族の体に良いもの。
そうではなく、もっと地球環境に目を向けて欲しいのだ、という主旨でした。
シャボン玉せっけんは長年赤字決算でしたが、エコブームも手伝って最近ようやく黒字になったそうです。
僕はこの記事を読んで、こういう若い人が次の社会を作っていくんだということに非常に頼もしい感じを受けました。
といってると、本日のNHKの「あさイチ」で子供の内部被ばくを防ぐためにどこから野菜を買おうか真剣に考えている主婦の姿が映されていました。
もっともなことだとは思うんですが、これとて同じことですよね。
「子供たちの将来」と叫んで脱原発運動をしているお母さん方も同じ。
嫌な言い方しますが、子供の心配を装っているだけで、本当は自分の中の不安・心配・恐怖と戦っているのです。
そしてその大元には親に愛されなかったという根源的な寂しさがあります。
もういい加減、そこに気づいてよ、と言いたいんですがね。
以前述べましたように、皆さんがそういった感情と戦ったりしている限りは、次世代の真のエネルギーは僕たちの前に現れませんよ。
やるべきことは自分をまず癒しなさい、ということです。
それしかないのよ、マジで。
ここでうちの叔父にご登場願いましょう。
東大阪市の布施というところでお寺をやっています(今は住職は息子に継承しています)。
彼は西本願寺の総長を何期か務めたことがありますが、先日次のようなことをお寺が毎月出しているミニ新聞に書いていました。
~「地球にやさしい」という言葉が私は以前から嫌いでした。
そこには地球に住まわして頂いている、という感覚が欠如しており、人間の方が上という目線の言葉です。~
オッチャン、たまにはエエこと言うやんかいさ。
皆、言うこと為すことが自分中心過ぎるんです。
これは「自分を表現する」というのとは違います。
「エゴイストで行こう!」ともまた違います。
僕が言うところのものは、この宇宙の原理原則をわきまえた上で、過去世もトラウマも自分の着ている衣装なのだと理解した上で、その中で自由奔放に生きることであり、それらに操られていることをさすのではありません。
ちなみに前述の叔父一家のことでは必ずしもないんですが、一般的にお寺の内情というのは結構グダグダです。
身内の人間関係も案外うまくいってません。
それはなぜかというと、大正・昭和の時代に結構厳しく子育てされたんですね。
お寺だから当然といえばそうなのかもしれません。
その厳しさはもちろん親としての愛情の裏返しなのですが、幼い子供というものはやはり無償の愛が欲しいのです。
仏様の愛を説かれるよりも、お母さんにギュッと抱きしめてもらいたいし、お父さんに頭を撫でてもらいたいのです。
お寺というものは原則として息子の嫁に同宗のお寺の娘をもらうことになっていますから、お嫁さんも得度していてそのうち旦那と同じように檀家回りをすることも珍しくありません。
そうなったら子供にとっては両親二人から仏さんの教えを聞かされるわけですから、たまったもんじゃありません。
そういう人たちが今60歳を超えて、その子供たちが30歳40歳になっているわけです。
実際のところ、みんな寂しいのよ。
最後に業務連絡です。
金沢のN谷Y美さん、相変わらずメールが返ってきます。
なんか僕があなたのメールを無視しているみたいで嫌なので、ドコモショップに行ってフィルター設定変えてもらってください。
マジでお願いします。
2011.6.29