人が人を愛する時~Sexualityについて~
わたしずっと勘違いしていまして、このブログは昨年の7月10日から始まったから、明日が記念すべき365日目だと思っておりました。
先ほど確認したら7月9日から始まっており、今日がその日でした。
やはり一年間の中で締めくくるのはこの話しかないと思い、ついにSEXについて書きます。
数えてみたら365日の内、ブログの記事数326。
途中インド紀行など日記を写すようなものもありましたが、それでもよく書いてきたと自分でも思います。
でもね、日記を写すといってもただダラダラ写したわけじゃないので、実はあれが一番時間かかったんですよ。
ずっとあたためていた事を書いたりもしたけど、よくネタが続くなあ。
さすがに2年目に入ると更新は少なくなるかな?
実際のところはよくわかりません。
また日本は言うにおよばず海外在住の日本人の方からもメールやコメントを頂き、今さらながらネットによりつながっていることの縁の不思議さを感じるのです。
ご相談頂いた内容に対してほとんど役に立たなかった事については大変申し訳なく思うのですが、実際問題として役に立ちようがないのですよ。
その人が間違った人生の歩み方をしているわけでは決してないのでね。
ただそのままを体験してください、外側の世界を変えようとせずに内側に入っていってくださいとしか言えないのです。
昨日の歯科医師会での発表ですが、僕はハッタリかますのが大の得意で、声も良く通るのでまあ何てことないわけです。
僕は臨床的に観察した事実を実践的に応用できるように話したつもりですが、それでも皆さんはひとつのものの見方、考え方というふうに捉えられるようで少し悲しい気もします。
ここでも僕の「なんでわかってくれないのか?」という魂のクセが爆発するわけです(笑)
昼の弁当食ったらきっちり居眠りしてしまいましたが、途中質問されて目が開いた。
その後の懇親会は楽しかったです。
ブログ開始一年目の記念日には一人でお祝いしようか、と書きましたが、明日は同級生とミナミに飲みに行くことになっており、そこでハジケちゃいましょう。
ハジケルといっても僕はいつもテンション高めで一緒なんですけどね(笑)
人気の記事はブログじゃないけど、たぶん「自殺した魂はどこへ行くのか?」「2012年問題の真実」「ワンネスとは?」あたりではないでしょうか。
ほとんど目に見えない世界のことを書いていますので、「本当にそうなのか?」と聞かれたって「そんなもん知らん」っつう話です。
何か本を読んでそこに書いてあったからとか、誰か信用のおける人に聞いたからとかで書いているわけじゃないんです。
なんとなくそうみたい、ということで書いてるんですね。
全部直感みたいなもの。
そこには信じる信じないというようなスタンスすらない。
2012年のアセンションの話も、宇宙人の話も、生まれ変わりの話も全部絵空事かもしれません。
でもそうやって生きていると、明らかに楽しい。
それやったら、そんでええんちゃうの?というような軽いノリ。
だからそういう話を信じない人や「死んだらそれでオシマイだから今さえ良ければ」と考えている人はそれはそれで素晴らしいことなので、そのまま邁進して頂きたいと思うのです。
どれもこれも一切合切問題ナシ!
さて、SEXです。
これについては「神との対話」にも書かれていて、そこで作者のニールは神様に「わたしはSEXが好きだ」と10回言ってごらん、みたいなことを言われるわけです。
確かにね、まずはそういうところを素直に認めて自分の中でのタブー的な感覚を取り去る必要があるのかもしれません。
SEXは当然素晴らしい男女の営みであり、神様より与えられた尊い行為です。
SEXが嫌いという人もいるでしょうが、それはそのようなトラウマがあるからで、普通なら好きなはずです。
だって気持ちいいもん。
まだまだ男性性と女性性のバランスがとれていない人が多いので、本当に気持ちの良いSEXを皆さんがしているかどうかは甚だ疑問。
どうも見ていると、見た目男性だけど中身は女とか、男性性の極端な方にはしっている人、粗野で乱暴で無神経というのが少なくありません。
女性においてもまた然りです。
なんとか男性っぽく自立しようとしている人、逆に性的なアピールをやり過ぎる人。
こういう人たち同士のSEXには本来の気持ちよさはありません。(何を言いきってるんだろうオレ、笑)
SEXとは言うまでもなく男女つまり陰陽のエネルギーの究極の結合です。
陰は陽を求め、陽は陰を求める。
ただし相手は誰でも良いというわけではなく、〇と●みたいに相性が良いものが決まっています。
陰陽が結ばれるから、そこにはエクスタシーと呼ばれるいう素晴らしいエネルギーの出会いと結びと放出があるのです。
その時天国の門が開かれます。
地上とあの世がエネルギー的に結ばれ、新たなエネルギーが産まれます。
だから女性はその際に「死ぬぅ」と叫ぶのね。
え?
そんなん言われたことないって?
それこそ僕、知らんわ(笑)
修行しなはれ。
自分だけ良ければ、というSEXしてちゃダメよ。
相手に喜んでもらうようにしなくちゃ。
僕なんかは・・・・・いらんね、この話(笑)
ホモセクシャルやレズビアンの方々とて本質的には同じで、どちらも中身は男女にきちんと分かれています。
男性エネルギーが充満している者同士のホモとか女女した者同士のレズなんてのは通常あり得ないです。
でなけりゃ、例えば乱暴で粗野な男同士のSMプレイなんてのは、双方が両手にムチとロウソク持って見つめあって、こんなの殺し合いの喧嘩になっちゃいます。
セックスアピール出しまくりの女性二人のレズビアンなんて、結局はお互いに嫉妬のしあいで喧嘩になります。
彼ら彼女らのSEXは男女間のそれとは違うでしょうが、やはりそこにも陰陽というものが存在し、それの結合というのに違いないのです。
天国でずっと見守ってる天使たち。
両親の準備が出来たら、神様に呼ばれます。
一応、自分であのお父さんとお母さんがいいと事前に申し出ています。
そこで自分が将来出会うであろう様々な出来事を見せられます。
そして「それでもおまえは行くのか?」と聞かれますが、天使はその体験をワクワク心待ちにしているのですね。
「ハイ!」
「では行ってくるがよい。さあ、門が開いた。おまえはこれからここでのことをすべて忘れるが、わたしも他の天使たちも皆おまえのことを見守っていることを心のどこかで覚えているから絶対に大丈夫だ」
そこで天使は勇気を出してお母さんのおなかの元へと飛び込んでいきます。
僕たちより高次の宇宙人たちは、人間のような肉体を激しく使ったSEXはしません。
単にその意図を込めたエネルギーのやり取りをするだけです。
でもそこでのエクスタシーは人間のそれと変わりません、というよりもっと長い時間持続します。
僕のように一瞬で終わったりはしません。。。。。あ、言うてもた(笑)
彼らから見ると地球人のSEXは「大汗かいて変な格好で激しく動いて何やってんだろ?」てなもんです。
僕は子供たちの前で妻と抱き合ったり、チューしたりしますが、SEXまで見せる必要はないでしょう。
でも裸で抱き合っているのを見られるのは全然OKだと思います。
子供たちは「きしょい」と言いますが、そりゃあんたらの感覚が遅れてるんだって(笑)
精神世界をやりだして、一時性欲も消滅させた方がいいのではないかと考えたことがありました。
でも不食と一緒で無理にやる必要はないとわかりました。
だから僕は今も性欲があります。
ただ、自分の中での両性のバランスがとれてくると、性欲に任せて女性を買うとか、飲み屋で隣に座ってる女性をひっかけようとか、ラウンジとかのホステスさんを口説こうだとか、そういう気が一切しなくなってきました。
自然とそうなったのです。
でも、藤原紀香みたいな人が横に座ってミニスカートの脚組み替えつつ、「どこかもう一軒一緒に行きません?」と言われたりなんかしたら、ちょっと(ていうか全然)自信ないかも(笑)
女性を抱く時は、少なくともその瞬間だけは相手を愛していたいと思います。
例え娼婦であってもです。
いわゆる愛のないSEXていうのが良いのか悪いのか僕にはわかりません。
もちろん同意の上なら良いも悪いもないのでしょうが、あちら側の世界(天国)で行われていることを考えた時に、無責任なSEXはいかがなものか?とも思うのです。
避妊すればいいじゃん、と言われても何だかこの問題は袋小路に入っていくようでよくわかりません。
本当はもっと明確な答えが見つかってから書いた方がいいんでしょうが、一年を締める意味で中途半端ではありますがSEXについて触れてみました。
SEXは神聖なもの、美しいもの。
それはこちら側からだけ見ている者にはわからないのかもしれない。
でも天国から見ると、地上と七色の光でつながって道が出来、次の世界を作っていく者がそこを通っていく。
計りしれないくらい荘厳なものなのでしょう。
みなさん、SEX好きですか?
考えてみれば七夕の次の日に、こんな記事を書くのでした。
最後になりましたが、いつも読んでくださってありがとうございます。
明日からもどうぞ宜しくお願いします。
2011.7.8
ブログ一周年おめでとうございます。
色々なことを教えていただきありがとうございます。
SEXのことで質問があるのですが、秦の始皇帝は
接して漏らさずで多くの女性と交わりエネルギーを蓄え、あれほどの力をもったと何かの本で読んだことがあるのですが、先生は精を漏らすことに関してどうお考えですか。もちろん前立腺のこと考えたらイッタほうがええんでしょうがね。
Tさんコメントありがとうございます。
何でもそうなのですが、自然が一番だと考えます。
男ざかりの人が長期間射精を我慢すると悟りに近づくという風な言い伝えがあり、始皇帝の場合も神格化するために作られたのかもしれないし、本当だったのかもしれない。
精神世界でも敢えてそこにチャレンジする人もいるようです。
やりたければどうぞ、でも無理に我慢すると体壊すよ、という感じです。
今のようなSEXをするのがこの次元だけの話なのなら、僕たちはこの次元に生きているんであって、そこでのあらゆることを否定せずに楽しむのが本筋なんじゃないでしょうか?