藍の2年生の担任は前年と変わって若い女の先生だそうです。

1年生の時の担任は高校生の息子がいる男性教師で、「自分の息子を見ず知らずの所に預けるなんてとてもできない」とおっしゃった人です。

彼は今回廊下で藍とたまたま会ったにもかかわらず、見向きもしなかったそう。

新しい担任の先生は「農業頑張ってください」と「このまま学校に出てこなかったら内申の点がつかないので公立高校は無理」との2点を言いました。

 

「高校はどうされるんですか?」と嫁に聞き、嫁は「あんた、どうするの?」と藍に聞き、

藍は「さあ?」

今は最低でも2年の秋くらいから受験のことを考えさせられるようで、先生あきれ返っていたそうです。

いずれの先生も、藍のことをわかろうとか何とか全くなくって、ただ常識外れの異端児扱い。

自分の常識に適わないものは間違っているという考えの人で、この人たちきっと大した教師じゃないなぁと思うと、なんだか気の毒になってきます。

 

それでもやはり公立は無理と言われると、親としては少しショック。

これで良かったんだろうか?という考えが少しはよぎります。

妻はそんなこときっと思わないでしょう。

アセンションの次の時代を作っていくべく自由な暮らしをしている子供たちと、必死に自分を守るために古い価値観にしがみついている大人たち。

そりゃ相入れんわなぁ。

彼らの言うところの学校教育の中で最高の結果を出し続けた人々が今、国を動かしているわけです。

国の現状がこのザマなら、誰が考えたって教育が間違っているでしょう。

物理とか数学とかを教えることが間違っているということではない。

教育のシステムが間違っているというのです。

 

作郎.jpg話変わって、作郎とは言うまでもなく「シャングリラからの伝言」の作者です。

僕が書いたんじゃありません、僕は彼に言われてキーボード叩いただけです。

だって秘書ですから。

ではなぜ作郎と名付けたのか?

その話を今日はしちゃいましょうか。

 

僕が小学校の当時、今では考えられませんが特殊学級という名のクラスがありました。

その20人に満たないクラスには1年生から6年生までごちゃ混ぜ。

校舎の一番隅っこの目立たない所にその教室はあったのです。

僕が5年生の時、その特殊学級の僕と同学年のS君が週に何時間か僕たちの教室で一緒に授業を受けるようになりました。

市の教育委員会の方針がそうなったのかもしれません。

でも担任の先生は「教室に置いてある本のどれでも好きなものを選んで読んどき」とだけ言って、後は普通に授業を進めました。

彼は言われたとおりに教室の廊下側に置かれているわずかな教室図書の中から一冊選び、授業中ずっとそれを見ていました。

 

40人近く生徒がいる中で、彼は存在そのものがないがごとく扱われたのです。

 

その頃の僕には、そのことを取り巻く様々な事情というのはわかりません。

でも、「何か変だなぁ」とは感じていたのです。

その”変”というのは、何となく納得しかねるという類のものでした。

確かに見た目は知能が劣ったように見える。

だからといって、これでいいの?

彼は本当に駄目な人間なのだろうか?

このS君のことは、僕の人生の中で片時も忘れたことがありません。

・・・というと言い過ぎかもしれませんが、何かにつけふと彼のことを思い出すのは確かなのです。

 

今は彼が天使なのだということがわかります。

きっと、いっぱい言いたいこと、伝えたいことがあったことでしょう。

僕はその件に関して何の責任も負いようがないですが、でも心のどこかに罪の意識があります。

当時11歳で、人生の中で唯一優等生だった時でしたし、差別とか平等とか天使とか、そんなこと一切頭にありませんので如何ともしがたいのですが、やはり一抹の「僕も同罪だ!」みたいな感覚がいまだに拭えません。

実は作郎の名前を考えた時、無意識のうちに、そして迷うことなく、そのS君の姓名の一部をとっていたのです。

その時はわかりませんでしたが、もしかしたら「あの時のS君の代わりに大人たちにメッセージを伝えてよ」と思ったのかもしれません。

 

彼は今頃どうしているだろう?

幸せに暮らしているだろうか?

 

今宵、満月に君を想う

ごめんね、

そして

ありがとう

 

2011.7.15