一昨日の深夜、NHKの再放送で「僕の父は日本人を殺した」という沖縄戦にまつわる話を見ていました。

最近、終戦記念日や原爆記念日のあたりにそういった関連の番組が少なくなっている気がします。

あったとしてもゴールデンタイムに放送されることはなく、深夜に追いやられるか、民放などはそれらしい急ごしらえのドラマとか映画とかをするだけです。

このことに対して僕は危惧しています。

子供たちに歴史を教える必要はない。

新たな憎しみを生むだけである。

これは僕の持論ですが、あくまでも事実を教えるというスタンスであれば歴史は知るべきでしょう。

そこに教える側の感情をのせるといけません。

戦争を知っているから平和の素晴らしさがわかるのです。

 

天竺へ.jpg昨日は朝から妻と一緒に奈良国立博物館に特別展「天竺へ」を観に行ってきました。

正倉院展じゃあるまいし、大して混んでないだろうと思ったのが間違い。

開館と同時に行くんだった。

まあ、思ったより混んでいたというだけでちゃんと観れましたよ。

すごく良かったので機会があれば是非どうぞ。

こういう所へも徒歩10分で行けるのが奈良に住む醍醐味ですね。

 

玄奘三蔵の弟子たちが書き残した旅行記があり、それを元に玄奘三蔵絵巻は描かれているので信憑性大。

それが全巻展示されるのは初めてのことだそうです。

ただし展示替えがあるので昨日見たのは前巻。

おもしろかったので後半部も見に行こうかと妻と話しています。

 

釈迦の足跡を辿るように行く旅は本当に大変なのですが、彼はその優れた知能ゆえ、どこでも歓待されます。

あちこちで学んだり、逆に説法をしたりするのですが、それだけの彼でもまだ求法するわけです。

自分が知らない何かを求めるのですね。

求法とはすなわち法を求めること。

ここで言う法とは宇宙の理のこと。

莫大な数の経典を持ち帰り、唐の太宗に専用の建物を作ってもらって漢語訳に取り組みます。

最後に彼の最大の功績かもしれませんが大般若経を翻訳。

例のわざと訳さなかったといわれる般若心経の最後のマントラの部分、実は三蔵は訳すつもりだったのに夢に邪鬼が出てきてそのままにせよと命じたとか。

 

昔の人は皆、宇宙の真理を求めたんですね。

いや、いつの時代もそうだったのかもしれない。

確かに大般若経に限らず経典に書いてあることはすごいと思います。

詳しくは知らないけれど、よくこんなこと悟ったよなあと感心する。

しかしそれを知識として伝えようというのはどうだろう?

それすると皆が真理を自分の外側に求めるようになります。

昔はそれで仕方がなかったのでしょうが、今は地球の波動が高く、誰でも悟れる時代です。

自分の中に入っていくだけで、そこに永遠の真理を見つけられる時代です。

そう、自分の胸の奥にこそ経典があるのです。

あとは表紙を開きページをめくるだけ。

外に、ましてやこんなブログに何も求めないでね。

北斗神拳じゃないけど 「あなたはすでに知っている」

2011.7.29