ONENESS Update ~ワンネスに関する最新の知見~
当ホームページの検索項目上位にあるのが「ワンネスの意味」です。
またその語でインターネット検索すると当HPは上位に表示されます。
僕たちは当たり前のようにワンネスという言葉を使っていますが、考えてみればONENESSじゃなくワンネスと書かれると、確かに???となるのかもしれません。
ずっと読んで頂いている読者の方はおわかりのように、僕の中でもワンネスに対する解釈は少しずつ変わってきています。
ただしそのどれもが間違っているわけではなく、かつては元々一つだったと過去を振り返って説明しているものから、それぞれが個性を爆発させそのどれもが否定されない社会こそワンネスなのだというように未来を見るものに変わってきているのです。
考えてみると、個性爆発の世界をワンネスだといきなり説明しても非常に分かりにくでしょう。
まずは、みんな本当は一つなんだよ、というところから始める方がとっつきやすいのです。
(これは最近気づいたことですが)
著書の方では第一章にまず人生の目的と幸せの意味の定義がなされています。
すべてはここからはじまります。
それを受けて第二章で宇宙の創世とその目的について書かれています。
宇宙の一部である僕たちは、当たり前ですが宇宙法則によりすべて統制されています。
つまり宇宙創世の目的の小さいバージョンが僕たちの人生の目的だし、それが成されていることこそが幸せを感じる時なのです。
本でこれを逆の順序で書くとすごくとっつきにくいでしょう。
本書を手に取る人がまず知りたいのは宇宙のことじゃなく自分のことだからです。
だからその順番になっています。
ところが頭でものを理解しようとする多くの人がつまづくのが第二章なのです。
宇宙の始まりについてまるで見てきたかのように、そしてさも宇宙に意識があるかのように(あるのですが)書かれている所で、皆さん迷子になってしまわれます。
そしてそこから先が読めなくなってしまう。
そうかと思うと、まるで真綿が水を吸い込むように一気に最後まで読まれる方も多くいらっしゃいます。
こういう方は頭でものを考えることを途中で放棄し、ただ言霊の渦に身をまかせていらっしゃいます。
サイドメニューに書かれているワンネスの意味も当初は著書に準じたものでした。
そしてワンネスフェスティバルがきっかけとなり、少し補足しました。
そこで書かれていることは、パンフレットからの抜粋で僕の言葉ではありません。
分かる人には分かりますが、いかにもバガヴァンが言いそうな言い回しです。
分かったようで分かりにくいという特徴があります。
そこでついに「Discover Oneness」が登場します。
パンフレットの文句と実質的には同じことを言っていますが、分かり易さが格段に違います。
ただ捉え違いをされるとややこしいことになってしまうので、もう少し深く掘り下げていきましょう。
僕たち一人一人の個性は宇宙が自分のすべての側面を知りたいと思った、その一つ一つの側面です。
だからこそ個性を爆発していかなければいけない、というか本当はそれしかやりようがないはずなのです。
個性を決定づけるのが過去世と胎児期も含めた幼少期のトラウマでした。
ところが僕たちはその後の人生の中で、個性を個性として発揮するのではなく個性に操られるようになります。
社会が僕たちをそのままの存在として認めないという構造だからです。
だから人と違う自分の個性を否定します。
否定しながら、自分の周りが間違っているのだとも考えます。
結局何十年かけて、その狭間で悩みまくりニッチもサッチもいかなくなります。
そして一応標準的とされる人間や生き方を無理にやろうとして最後は病気になって死んでいく。
これが実態です。
違いますか?
以前に書きましたが、ごく最近でも僕はあるセミナーを主催している年上の先生を言葉をもって切り捨てました。
これは個性に操られているのです。
もし僕がONENESSの状態であるならば、このようにはなりません。
相手のスタンスも個性も認めるからです。
僕はまだまだ自分が正しい、世間が遅れていると考えている。
というか、そういう自分がまだいるということです。
癒しが足りないのか、何が足りないのかわかりません。
もしかしたら何も足りないものなんてないのかもしれません。
I’m on my way to ONENESS.
僕はいまだワンネスへの道程にいるからで、そこに到達しているわけではないのです。
こんなメッセージを書く人間がそんなことでいいのか!
と言われましても、如何ともできません。
ズビバせんねぇ(笑)
じゃあ僕は何か努力をしなければならないのか?
やる気・・・・まったくありません。
僕だけじゃなく周囲の人も、また読者のみなさんも同じ道程にいらっしゃるので、そのうち皆が少しずつお互いに影響し合い、お互いに終点に近づくように助け合うようになるのではないか。
そう思うのです。
僕は過去世からもトラウマからも、大局的に見て世のためにならないと思うことを旧態依然としてやっている人や組織に非常に反発心を抱きます。
では僕が僕を自由自在に表現するというのは、それらと対決して勝つことでしょうか?そういう価値観をぶっ潰すことでしょうか?
何か、違う気がするんだよなぁ。
僕のその反発心が完全に癒された時、あるいはそういうトラウマがある自分が完全に受け入れられた時、要するに僕が愛を知った時、本当の個性が爆発するのではないかと思うのです。
それにはその時が来るのを待つしかない。
そしてその時は必ず、いやもうすぐそこまでやって来ている。
Just stay there!!
そのまま、そのまま。
これで良いのではないか、というのが現時点での僕の結論。
この記事は昨日書きましたが、由紀子さんの「地球人のためのスピリチュアルレッスン」の昨日の更新記事がLady GA GAの「Born this way」
本日は第66回目の広島原爆記念日です。
今年は藍もフウもいないので、妻と慧だけで興福寺に平和の鐘をつきに行きます。
原子力の平和利用だったはずの原発の今回の一連の騒動を見て、原爆で亡くなられた人たちはどう思うことでしょう?
2011.8.6